カレル・チャペックと「死」の問題   田才益夫(チェコ文学翻訳家)

 最近(二〇〇一年)、チェコの現代文学を代表する作家の一人イヴァン・クリーマが『時代の証言者カレル・チャペック――その生涯と作品』(仮題)というチャペックに関する評伝を出版した。学者や評論家の論評とはことなり、作家の視点から同じ作家のカレル・チャペックに目を向けている。そのなかで興味を引くのは、あれほどユーモラスな作品を書いているチャペックにはヒポコンデリーの傾向があり、「死」をすごく恐れていたという指摘であった。
  チャペックの日常の身近かな人物からの証言としてヤルミラ・チャプコヴァー(兄ヨゼフの妻)の『回想記』を引き合いに出している。それによると「チャペック兄弟の父が胃癌で亡くなったとき、ひどいヒポコンデリー(心気症)におちいり、自分の内臓にもなにか腫瘍のようなものがないか」と不安そうに探しまわったと言うのである。
  この必要以上に病気を恐れるという心的傾向は幼児期にすでに母親から植えつけられていた。母親は病弱の末子カレル(事実、脊椎に障害をもち、一生苦しんだ)を病的なまでに、独占的、排他的に溺愛し、他の家族からも遠ざけようとした。そしてカレルは胸が弱いと信じた母親は幼いカレルの手を引いて、マレー・スヴァトノヴィツェ村のマリア像にお参りに通っていた。
そのとき奉納するのが乳房をかたどった蝋細工の灯明だったので、チャペックは元気になったら自分も母親のように胸がふくらむのかと信じていたそうである。幸いなことにチャペックのオッパイは大きくはならなかったようだ。
 そんなわけで、クリーマは作家とは自分にとって不安でしようがないことをテーマとして作品のなかに取り入れると指摘し、『マクロプロス』も「死」という自分を不安にする要因をテーマとして取り上げ、人間はほどほどのところ(たとえば六〇歳)で死んで世代交代をするのが好ましいという結論に導く作品を観客にも読者にも提示して、共感者の数を増やすことで自分自身も安心したかったのだろうと推測する。
  上記の著作のなかでの『マクロプロス事件』についてのクリーマの見解だが、ドラマチックに見ればこの劇の登場人物はみな矛盾し、いわゆるドラマチックな性格的一貫性を欠いている(たしかに最後の議論の場では各人の意見がころころ変わっている)。しかも登場人物たちの性格が徐々に明らかにされ、結末に至るという手法を取らず、むしろ観念的な論争を重視していると言う。
 私もクリーマの短編集『僕の陽気な朝』(国書刊行会刊)を翻訳して紹介しているが、それほど伝統主義的保守主義な印象は受けなかった。クリーマ自身も戯曲も書くことから、自分の実感に基づいて多少辛口の批判をしているのかもしれない。
 それはともかく、長寿の問題は現代の日本でも未解決の重要問題である。短くとも充実した人生を送るか、それとも介護を受けながら生きつづけるか、それは自分で決められることでもなければ、他人に決めてもらうことでもないところが難しい。
 しかし、生きる以上は充実した老後の生活でなければ意味がない。長生きはいいことだ。だが、そのいいことを、いいことたらしめる充実した老後とは何か? 
それはこの『マクロプロス事件』の後に続く、われわれ自身の問題である。



* 初出・カレル・チャペック原作『マクロプロス―三百年の秘密』演劇集団「円」公演パンフレット(2003.2.28-3.12)