チャペック少年の恋文――アニエルカへの手紙(抜粋)
                            田才益夫 訳


T.[一九〇五年三月二〇日頃]


――ある失望の瞬間(――それがいつ、いかなる理由によるかは重要では在りません――)、人の二倍ものさびしさを感じたある瞬間、ぼくに大胆な考えが浮かびました。どうして大胆かというと、それが常識を超えているからです。そして、もしかすると――ああ、おそろしい――それがぼくたちの上品で、道徳的な社会の規範にそむくかもしれないからです。
 しかし、いま、その考えを実行するに際して、事実、それがあまりにも大胆かつ非常識ではないかという気さえしてくるのです。ぼくが恐れているのは、それが理解されないか、悪く取られるのではないかということです――
 ぼくの知るかぎり(あなたについて何を知っているかについては書きません。お世辞に聞こえるでしょうから)、あなたは普通以上の教育を受けた現代的な女性だと思います。――そのことだけでも、あなたはありきたりの、低俗な愛嬌をふりまく娘たちとは比べものにならないくらい高いところに立っておられるのがわかるのです。しかし、そんな娘たちのなかに、あなたが心のなかに思っていることを完全に理解し、共感しうるような、そんな心の通いあう人を見出せるかどうか疑問に思います。
 あなたは友達(もちろん、ありきたりの意味で言っているのではありません)とともに瞑想にふけり、哲学をする、つまり意見を戦わせることのできる、そんな友達を見出すことができなかったのではないでしょうか。若者にとって自分の体内に脈打つ思想を語りつくしえたとき、しかも、理解に達したとき、それがどんなに大きな喜びであるかをぼくは知っています。
 もちろんあなたは家族の人たちに囲まれて生活しておられます。そして、みんなはあなたを理解してくれるでしょう。でも、その環境から離れたところにも人間が生きている領域があり、あなたにとって尊いものをよそよそしく、冷笑をもって見ているものもいるのです。しかも、この人たちこそ人生を知っている人たちなのです。
要するにその人たちは人間の心を知っています。そのなかにある汚れも、それを取り巻く堕落をも知りつくしているのです。よく言うでしょう、もしその気になれば、人生のなかには哲学も美も善も探し出せるって。そして見る目をもった人ならば、詩の豊富な材料も発見できるのです。
ほら、あなたはこういう人生をご存知ないでしょう。しかも絶対に知ることもできないでしょう――ところが、この人生にこそ、まさに真の哲学があり、美があり、詩があるのです。美や詩をなにか形而上的なもの、人生の足かせから解放されているものと考えている人は、ぼくは間違っていると思います。そしてあなたはこのような人生をご存じないし、ご存知にもなれないのです。なぜなら、このような人生はあなた方のほうへ近づいてくることもないし、あなたの外側にある。だからこのような人生をあなたはご存じではない――それは女性にたいする教育が、あなた方女性をこのような人生からきびしく隔て、遠ざけているからなのです。
前置きが長くなったのをお許しください。このことはぼくが思いついたことと直接関係があることです。つまり、あなたの遠くにある人生になんらかの理解をもつということは、女性解放の目的にも合致することです。その人生を大勢の人たち、知識人も労働者もプロレタリアもが生きています。そしてそのなかにこそ、先ほど言ったように、哲学、善、美、詩があるのです。そういう人生に近づきたいと思いませんか?
ぼくはそういう人生を知っている人間です。そして、そのなかの一個の原子なのです――しかもそのなかに隠されているものを、そのなかから発見できる人間です。昔は――ずっと以前は――ぼくもこの人生の上っ面の浮きあがった世界で、とりとめもないことを口走っている(いまのあなたのように)人間でした。しかしいろいろと苦しみもがいた末に、とくに数多くの失望を味わった末に(それはあなたをも待ちうけているんですよ)、この人生哲学に到達したのです。
そこで、いいですか、ぼくの提案なのですが、人生を外人部隊の人たちのように果敢に突進するまじめな人間の考えを知っていただけるように、あるいは、とっくに捨て去っていた理念的世界にぼくがもう一度近づけるように、ぼくたち、文通をしましょうよ。あなたの知らない人間のままで手紙を書き、返事を待つこと、若者の思索と夢を語り、あなたの率直な意見を待つことをお許しくださるようお願いいたします―― ――
正直のところ、少々厚かましいことではないかと思っています。それに、ぼくが恐れているのは、ある種の理想的な率直さへの信仰が、他の幻想と同様に、ぼくをたちまち幻滅へ導くのではないかということ、それに、あなたが返事さえくださらないのではないかということです。それにしても自分の思索のすべてを語りあえるような心の通じあう友達を発見するというのは、なんとすばらしく、尊いことでしょう。これこそ人間の喜びです。
ぼくを信じてください、アニエルカさん。ぼくはあなたを理解し、あなたにも理解されうる人間です―― ――もしかすると、あなたはこの文通を無作法で、許しがたいこととお思いでしょうね。だって、あなたはぼくをご存じないからです(ぼくはあえてあなたに知ってもらおうとは思いません)。でも、ぼくは誓います。これはつまらない冗談ではありません。いまも述べたように、ぼくの意図はまったくまじめなのです。ぼくを信じてください。ぼくもその信頼に応えるつもりです。
実行するほうが簡単かもしれませんね。ぼくはあなたのご迷惑にならないように、あなたの住所宛に手紙を書きます。それからあなたの手紙はここの郵便局留めにして、よろしければ切手の下にABUと書いてください。せめてこの手紙にだけでも、ご返事ください。よろしくお願いします。
これが実現できたら、なんとすばらしいことでしょう。きっと、すばらしいですよ―― ――



U.一九〇五年三月二十一日

 ぼくはまったく迂闊にも、この前の手紙に切手を貼るのを忘れたのを、たったいま思い出したところです。ぼくはあなたが――もしかして、子供っぽいいたずらだと思って――あのあわれな手紙を受け取ってさえくれなかったのではないかという気がしています。その手紙のなかで提案したことは、とても大事なことだと思いますので、あえて、もう一度くり返します。
 ぼくの義兄でブルノにいるコジェルハ博士(姉ヘレナの夫)はモラヴァ〔モラヴィア〕の主導的政治活動家で、モラヴァ地方の雑誌の編集にいろいろ関係をもっており、影響力もあるので、たぶん、ぼくは「モラヴァ地方」誌の編集部にちょっとした仕事を得ることになるかもしれません。そうしたら、ぼくは今度の休暇からずっとブルノに行くことになるでしょう。
 ですから、その関連であなたの文学作品をいくつかぼくの高校(ギムナジウム)宛てに送ってくださるようお願いいたします。それをぼくはコジェルハに送ります。そしたら彼は「モラヴァ地方」誌か、他の雑誌に掲載してくれるでしょう。
 もしこんなふうにして、苦労も失望もしないで社会への第一歩を踏み出せたら、きっとあなたにとってさい先のいいことですよ。
 たぶん、あなたは信用なさらないでしょうね――それもまあ当然です。でもぼくはあなたが全面的な信頼を置いてくださってもいいと保証いたします。ぼくの全人格にかけて保証いたします。
 ぼくは前の不幸な手紙のなかで、これらのことをずいぶんと誇張して書いてしまいました。
 結局、ぼくを信用できないと仰るのなら、長いあいだ無駄な期待を抱かないように、せめて二言三言答えてください。必ずそうしてください。待つのが長ければ長いほど、落胆も大きくなるでしょうからね。
 この手紙を自慢めいたものとか、なにか父親みたいなお説教だとかいうふうには取らないでください――たぶん、あなたはこのようなぼくの行動の動機を知り、理解してくださるでしょう。
 しかも、たぶん、このこともまた、なぜぼくを全面的に信用してよいかという理由をあなたに示してくれるでしょう。
                                  カレル・チャペック
 ギリシャ語の時間に大急ぎで書きました。
 一九〇五年三月二十一日



X.

 この一週間、ぼくは神経をやられて病気になっていました。ずっと以前からの病気です。
 しかも、こんな状態のなかで、もはや絶対に、絶対に許してはもらえないようなことをやってしまったのです。よく考えてみると、ぼくはたしかに(残念ながら)嘘はついていないが、どちらかといえば馬鹿ないたずら、ずうずうしさ、恥知らずとも見える、あんな手紙を書いたのですね――でも、ぼくにはそんなつもりは毛頭なかったのです。
 多少は覚えています。あれは恐ろしく眠れない晩でした。ぼくはすっかりまいってしまって、朝早くペンを手にして、この不幸なことをやってしまったのです。
 愚の骨頂です。こんなことをやれるのはぼくくらいのものでしょう。でも、ぼくには責任の取りようがないのです。ぼくのようなあんな状態のときに、人間というのは思慮も分別もない行動を取るのですね。幸か不幸か、現代の強盗や殺人者までがノイローゼを逃げ口上に使っていますね。
 でも、いま、ぼくは自分のやったことがわかっています――そして、それがあなたを傷つけたのだということもわかりました。ぼくは自分の行為を恥じています。そして、そのことでぼくは苦しんでいます。
 どうかお願いです。一時的に正気をなくした子供のやったこととして、ぼくを許してください。けっしてあなたを不愉快にするつもりはなかったのですから、許してください。できることなら、ぼくの狂気じみた、見境のない行動を忘れるようにしてください。
 くれぐれも、そのことをお願いします。
                              カレル・チャペック




Y.

                                   四月六日
    
 こんなに長く沈黙を守るなんて、ぼくにはとうてい無理です。だから、また書きます。きっと、ぼくに定期的通信の時間を許可してくれますよね。
 ぼくはいま幼児的不安のとき、誰もが太陽の強い日差しに幻想を奪われるのを恐れて出たがらない幼児的不安のなかにいて、ぼんやりと黄色に映える白の平原を見ています。その地平の彼方には平原を区切る青い山々の美しい遠景が見られます。そのとき、ぼくはある計算に夢中になっていました。たとえば、ぼくはあと百日だけこの城ですごすんだなとか、ぼくの青春の日が二日間過ぎてしまったとか。あるいは、もっとまじめな思索、たとえば、ぼくがずるくて、信用が置けないものだから、まるっきりぼくのことを信じようとしない人たちがいるのだろう。もしそうだとしたら……というような思索にふけっていたのです。
しかし、少しばかり厚かましすぎたこと、ちょっと正直すぎたこと以外に、本当のところ、それほど悪いことをしたという心当たりはありませんでした。だから、さっき言ったような人たち(もしかしたら、女性たち)が、どうしてぼくを信用しないのかわからないのです。ぼくはあなたのこと、ぼくたちのまじめな文通のことを言っているのです。
そうです。この文通ですよ。ぼくはどうしても、このぼくの愛の思索を断念することができないのです。これはきっとすてきなことなのになと、ずっと頭のなかで描き続けているのです。それでもなお――愚かにも、というべきでしょう――ぼくはきっとこれが実現するものと期待しています。
あなたにとって、それを妨げているものは何なのです? あなたはぼくが他の連中とは違うことも認めていらっしゃるし、信頼にそむかないことも認めていらっしゃいますね。それともあとになって、ぼくが面倒になると思っておられるのですか? とんでもない! ぼく休暇になったら、黙って消えますよ。そしてあなたはダンスのレッスンに通って勝利をものにすればいいのです。ぼくは黙って引っ込んでいますから、ぼくたちの手紙のことなど誰にも知られるはずはありません。
あなたにはまだぼくの真意が伝わっていないのではないかという気がします。それにぼくが相互的なものとして期待しているもの、つまり、何ごともためらうことなく打ち明ける完全な正直さ(もちろん、これにはなんらかの精神的な友情というものが前提になります)、その結果として相互の与え合い、つまり新しい地平を切り開くこと、こういったことについての説明が十分でなかったかもしれません。――でも、きっと、それはすばらしいことですよ!
あなたはきっとこのような、すべてを完全に理解することのできる、そうでなくても、せめて尊敬のできる友情を経験されたことがないのかもしれませんね。だから人間、独りぼっちでいなくてはならなくなるし、そんなもの後生大事に心のなかにしまい込んでいても、孤独との道連れでは孤独にしかなりようがないのだし、つらく、堪えがたくなるのです。事実、このような独りぼっちのときって、人間は日記に逃げ道を求めます。少なくとも、そこにすべてを語り、重荷を軽くできても、理解をうることにはならないはずです。
だから、ぼくらの関係は非常に役に立つものであり、その上、詩的でさえあるのですよ―― ――そうなんです。少なくともこの文通にかんする考えを放棄することは、ぼくには我慢できません。ですから、そのことをよく考えてください(――ぼくはここにあと百日しかいませんから、それまでに心を決めてくださるようお願いします)。
たったいま、日記のことに触れましたね。そのことでちょっと言いたいのです。いいですか――ぼくは自信をもって日記をつけるようお勧めできますよ。ただしその日記には正直に、場合によっては、自分にかんする包み隠しのない真実を書くのです。けっして自分に都合のいいように美化して自分を表現しないことです。しかし、だからこそ得るところも多いのです。
さあ、あなたの文学的キャリアを日記からはじめてください。そのなかにたくさのの真実を詰め込むことができますよ。真実のなかにこそ美はあるのです。たしかに普通の意味では楽しいことではありませんがね。もし、あなたが小説を書くとして、たとえ美しい話ではあったとしても、そこにあるがままの人間を登場させなかったら、それが何になるっていうのです? そのものから何が生まれてくるというのです? つまり多くの過ちを犯し、多くの苦しみを抱えた人間がそこにいなければなりません。けっしてありもしない、ありえもしない作り話のヒーロー英雄であってはいけないのです。
そして、あなたの日記からでさえ、時が経つにつれて、もしかしたら悲劇的すぎるくらいの背景をもったロマン物語が生まれてくることうけあいです。もしかして、あなたもマハルの『ここに咲くべきはずの赤いバラ』という本を読まれたことがあるなら、きっとここのところを覚えていらっしゃるでしょう。

――女であること
それは苦難の定め
その苦難の行く手には
すでに運命の呪いぞ、待ち受ける――

――そしてたぶんそれは本当でしょう。
 また、変なほうへ話がそれました(これはぼくがちょいちょいやる過ちなのです)。ぼくはただ、あなたが好きです。だから文通をしたいのだということ、そして相互にもっと深くいろんなことについて語り合えたらいいのにと書きたかっただけなのです。
                              カレル・チャペック