あとがき


 チャペック・シリーズもいよいよ映画とのかかわりについて紹介することになった。本書の構成としては、まず、第一部にチャペックの映画論十二編、第二部小編シナリオを集めたもの、そして第三部でチャペックのシナリオ二編を紹介する。

 リュミエール兄弟がシネマトグラフ(活動写真)をパリで初公開したのが一八九五年で、カレル・チャペックが五歳の時だった。そして二十歳になったときに「チャペック兄弟」の署名で発表した『活動写真』論はこれまでにどれだけの映画を見たかはわからないが、その透徹した、しかも先見性のある(すでにトーキーを予言している)映画論は実に見事である。

 一九一〇年といえば、映画が無声映画であるのは当然としても、複雑な物語性のある映画ではなかったと思われる。だからドタバタの短編喜劇が多かったはずだ。そのような初歩的な映画を見ただけで、二十歳前後の青年にこれだけの映画論が書けるとはさすがは、後の『ロボット』や『クラカチット』の作者である。無声映画も一九二〇年代に入ってやっと本格的に、大規模な長編無声映画が作られるようになる。
 チャペックは映画の可能性について、大いに期待しているが、それによって演劇が消滅することはないと信じていた。チャペックはその点を『映画の限界』のなかで述べている。
 やがてチャペックはチャップリン(ちなみにチャップリンはチャペックより一歳年上である)の創造性を高く評価する。それは本書にも収録した『チャップリンのリアリズム』『新しいチャップリン』をお読みになればご理解いただけるだろう。そして映画論の最後は、デズニーのアニメーション映画『三匹の子豚』にふれた文章だが、書かれた年が一九三八年であり、すでに隣国ナチス・ドイツの圧力にたいする警戒をうながす政治的意味が強く込められている。

 チャペックの自作映画に話を進めよう。タイトルの『金の鍵』というのはいかにもおとぎ話めいている。たしかに、これは大人のおとぎ話だ。
 これには番号のついたシナリオ(バージョン1)と筋書きと説明を書き加えたもの(バージョン2)の二種類がある。各々微妙に違っている。バージョン1では主人公の一人ヴァーヴラは途中で死に、また、セクリタス銀行の出納係も名誉重んじ、自分に疑いがかけられているのを知り、自殺する。
 しかし、バージョン2では、銀行の出納係は自殺しない。
 そして、おもしろいのはバージョン2の最後の一行である。
「長い道。マトラが歩いていく、だんだん小さくなって、地平の彼方へ消えていく」

 映画の幕切れとしてこのような終わり方をする作品はいくつかある。たとえば、チャップリンに影響を受けたと自認するルネ・クレールの『自由を我等に』(一九三一)である。最後に何もかもおっぽり出して、昔の仲間のトラークとドタバタの騒動をあとに、一本道を客席に背を向けて、「自由を我等に」と歌いながら腕を組んでと遠ざかり、だんだん小さくなっていくというところと同じ趣向である。チャップリンにもこういう幕切れの作品がある。とすると、チャペックもチャップリンの手法を取り入れたのかな?
 それにもう一つの類似点は、映画の主人公が仲良しの二人のトラークであること。話の過程で一方は昔の貧しいプロレタリアだが、一方は富豪となり工場の経営者になるということ、そして、こちらの相棒は死なないが、いずれにしろ無一文のトラークとなって終るところなどだ。

 ところで二つのバージョンの違いについてはどう解釈すればいいのだろう。実物を見れば手っ取り早いのは当然だが、実はこのフィルムは一九四五年、プラハの「五月蜂起」の騒動で紛失してしまったのである。だから、この映画が作られたことの客観的な証明としては、幸いなことに(?)この映画の検閲票があるということである。あとはこの映画を見たという人たちの、直接、間接の証言だけである。

 作られたのは作られたのだろうが、問題は二種類あるシナリオのどちらのバージョンで作られたかである。これは信じるしかないのであるが、カレル・シャインプフルグの劇評『チェコ最初の芸術映画』が残っていて、それにはおおよその筋書きがなぞってある。それから判断すると、どうやらバージョン2にもとづいて作られていたようである。(カレル・シャインプフルグは未来のカレル・チャペック夫人オルガの父親で、チャペックが最初につとめた国民新聞の年長の同僚記者だった人物)

 一九三八年、二作目の『絞首台のトンカ』は一通りの筋書きと、部分的に台詞が記されただけである。このシナリオには原作があり、プラハ在住のドイツ語の著者E・E・キッシュの同名の戯曲である。だが、こちらの方は映画化までにはいたらなかった。なぜならこの年の十二月二五日の夕方にチャペックは風邪をこじらせて肺炎になり亡くなるからである。

 その他のカレル・チャペックと映画との関係は、チャペックの文学作品の映画化である。たとえば映画『白い病気』(初公開一九三七年一二月二一日)、映画『ホルドバル家の人びと』(初公開は一九三八年一月二一日、映画化に際して改題。オリジナルの題名は『ホルドバル』)。チャペックの生前に公開されたものとしては以上のものがある。
 その他、一九四八年四月九日に映画『クラカチット』が公開された。

 なお、最後にお断りしておくが、本書は訳者自身の構成によるもので、チャペックのエッセイ集『何がどう出来るか』に収められた「映画はどう作られるか」とは別ものである。 
                                   訳者
 二〇〇五年九月