あとがき

 この本は、チャペックの童話はどうしてこんなにおもしろくて、長いあいだ、飽きられることもなく読み次がれているのだろうという、きわめて素朴な疑問から生まれた。そのきっかけを作ったのは先に私の訳で出版したイヴァン・クリーマ著『カレル・チャペック』というチャペックについての評伝の翻訳を青土社から依頼されたことだった。
 せっかく青土社がカレル・チャペックの評伝を出しながら、実作品を紹介しないのは変ではないかということから、担当の編集者にチャペックの短いエッセイみたいなものを出してみたらどうだと薦めたのである。そうしたら、あっという間に、四本ばかりのチャペックの本の企画を編集会議で通してしまった。
 間もなくその第一作目が出版された。『カレル・チャペックのごあいさつ』である。これはきわめて短期間のあいだに第三刷まで出るほど、読者の皆さんの好評を得た。それに次ぐのが『カレル・チャペックの日曜日』だ。
 そして「青土社版カレル・チャペック著作シリーズ」(この名称は訳者が勝手につけたもの)の第三作目となるのが、本書『カレル・チャペックの童話の作り方』(仮題)である。
 わが国では童話は最近ほとんどなくなったのではないだろうかという気がする。つまり格上げされて児童文学、少年少女文庫というもの――活字――に変わっているような気がするからだ。では、童話と児童文学とはどこで境界線を引くのか、明確な定義もないまま、なんとなくそういう言葉が出てきて、「童話」という純粋な名称に即した、その領域の作品が影を潜めつつあるのが現状だといえる。そうなると「チャペックの童話」の位置づけはどういうことになるのかという疑問がふと浮かぶ。

 チャペックの童話論はたしかに、童話研究の歴史的実証性を抑えながら進められていく。しかし、何よりもショッキングなのは「童話は文学ではなく、語りである」というチャペックの指摘である。これは教育の問題にもすぐに結びつくような気が私にはする。
現代の子どもたち、あるいは成年にも達しない犯罪者たちは、きっと幼いころ童話(おとぎばなし)をしてもらったことがないのではあるまいか。だからベッドのそばでのコミュニケーション、語ってくれる母親や、おばあさん、おじいさん、おとうさんたちとの「おとぎばなし」を通しての会話、つまりコミュニケーションの訓練ができていないのだろう。
その結果、コミュニケーションの幼児教育を受けずに成長したのだ。だから成長して社会に出たときに、周囲の人とのコミュニケーションもうまくとれない。その結果閉鎖的になり、その反動として短絡的反抗行為(暴力)に走るのではあるまいか。

 童話については、私にもこういう経験がある。私は小学六年のときに第二次世界大戦の終戦を迎えた。だから当時、私は上級生としてはかなり大人びていたつもりだった。本土への爆撃もだんだん激しくなっているころだった。一方、新聞の紙面は特攻隊の戦果が大々的に報じられていた。そんな状況にあるとき、学校巡りの童話語りのおじさんが、私たちの学校にもやってきた。
私たち上級生は、童話を低学年の一年生や二年生と一緒に聞かされるということに、一種のプライドを傷つけられた思いがしたものだ。それでも、私はみんなと一緒に講堂にはいって床の上にすわっていた。「誰が聞いてやるものか」と憤然たる思いで「語り部」のおじさんが登壇するのを待ち構えていた。やがて「語り部」のおじさんが語りだした。
私はいつのまにか、たあいもなく「語り部」のおじさんの話術の虜になっていた。そして自分でも気がつかないうちに、その「語り部」のおじさんの話を一心に聞き、おもしろいところでは大いに腹をかかえていた。(お話は「ロバの耳」だったと思う)
 要するに童話が文学であろうがなかろうが、童話は本来、語られてこそ童話になるのだと、チャペックの指摘を受け、そのときの体験をいま思い出している。

 この本を子どもたちが自分で読むようになるのは、たぶん、小学校も高学年になってからだろう。そうすると、もうかなり難しい言葉や表現も理解できるだろうと思う。だから、むずかしい言葉や表現を避けるというようなことはあえてしなかった。(ある意味ではチャペックの童話を大人のために訳したと言ったほうがいいかもしれない)そして、まだ、自分だけでは読むことができない低学年の子どもたちは、きっと、お母さんやおばあさんなど、そのとき身近にいる大人に、字の読み方を聞いたり、意味をたずねたりするだろう。これも一種の会話、ないしコミュニケーションの訓練だ。
 でも、現代の家庭の情況で、そのようなことが可能だろうか。子どもたち夫婦は、自分たちの父や母と別居して暮らす。子どもたちは学校から帰ったあと、共稼ぎで父親も母親もいない自分のうちで一人で過ごす。要するに「童話を会話する」相手が誰もいないのだ。現代における少年犯罪の遠因の一つは、生活のなかでの、この「童話」体験の欠如にあると言っては言いすぎだろうか?
 子どもの周辺にいる大人はぜひ子どもたちの童話の「語り部」になって欲しいものだ。

 以上は「童話の理論」に関連した話になったが、やはりチャペック「童話つくりの実践教室」についてもある程度触れておく必要があるだろう。それはここに選ばれた作品がチャペック童話のすべてではないこともその理由の一つだ。
 そもそもチャペック童話の原題は何かというところから入ろう。
 チェコではチャペックのこの童話集のことを通常「デヴァテロ」または「デヴァテロ・ポハーデク」と呼んでいるが、正式のタイトルは、『デヴァテロ・ポハーデク・ア・イェシュチェ・イェドナ・オド・ヨゼファ・チャプカ・ヤコ・プシーヴァジェク・オブラースキ・ジョゼファ・チャプカ』というのである。チェコの人が簡潔に『デヴァテロ』で片付けたくなるわけが判るような気がする。
 カタカナで紹介したチェコ語の原題を日本語に訳すと、チャペック著『九編の童話と、ヨゼフ・チャペックのおまけのもう一編、ヨゼフ・チャペックの挿絵』である。だからチェコ人はこの童話のことを単に『九編』または『九編童話』と呼んでいることになる。でも、九編とはいっても、複数のお話、ないし章からなる童話がある。
たとえば、第一話「とってもながーい猫ちゃんの童話」は第六章まである。(この版ではその最初の二章だけを掲載した)次に収録した第二話「お犬さんの童話」は単一の独立した童話。次の第四話から第七話まで省略して、第八話「郵便屋さんの童話」、そして最後の「とってもながーいお医者さんの童話」では、魔法使いのマギアーシュの治療が終わるまでのあいだに四つのエピソードが挿入されており、この本では物語の発端(マギアーシュがスモモを喉に詰める)とエピローグ(「ルサルカのけが」の後半、マギアーシュの治療)とのあいだに四つの話が語られる。その最初が「ソリマーンのお姫さまの話」でこの話は有名なので、ここにも取り入れた。
それからこの本では「とってもながーい……」とした元の言葉はチェコ語の「ヴェルキー」(英語のbig)で元の意味は「大きい」である。こういう言葉の意味はひじょうに自由に解釈され、使用される。日本語でも背の高い人を大きい人と言ったり、長いものも大きいと言う言葉で表現することがあるのとおなじである。たとえば、とってもながーい小説のことを大長編小説とか、大ロマンと言ったりする。

そのようなわけで、この本を最初から順に読んで、ここまでこられた方には童話がどんなものであり、子供の想像力を豊かにするのにどんなに役に立つかおわかりいただけたものと思う。
 
                                    訳者
二〇〇四年十二月