00:38:59
わが愛する息子アントニーンへ
『三人の王』でわたしらは新しいシンフォニーのことを読んだ。わしら、みんな泣かずにはいられたかった。わしはおまえの肖像を ガラスを張った額縁に入れさせたが、三〇クレイツァルもしたぞ。わしはそれをベッドの枕もとにおいておる。わしはもう何週間かベッドに寝ている。ドクトルはわしの体中をとんとん叩いてまわっておる。だからな、わしは神様におまえのことをおねがいしておいたぞ、どうか、おまえの善行にたいして、よい報いがありますようにとな。
おまえの愛する父より。

00:39:36
そしてドヴォルザークは素朴なこえで、父への別れの歌を歌ったのです。

たとえ、死の影やどる
深き谷間を行くときも
ぼくは、いかなる悪も恐れない
なぜあんら、父さんが、ぼくといっしょなのだから。

00:40:04(ナレーター)
いよいよ行き詰まった状況から、アンナ夫人はサーバー音楽院長宛の手紙をドヴォルザークに書き取らせます。

00:40:14

ここまで立ち至った苦境に、やむをえず、遺憾の念を覚えつつも、わたくしのこれまでの先の見えぬまままちZ続けることはもはや不可能であることをお伝えしなければなりません。アメリカの音楽芸術の発展を援助しようというわたしの願望は、生活の保証のうえに成り立っています。たとえ個人的には、そのような世俗的な問題にはきわめてわずかの配慮しかしないとはいえ、わたくしの妻や家族が、たえず生活の苦労にさらされているのにはたえられません。もし、契約によりわたしがとっくに受け取ってしかるべき給与を折り返しいただけないようでしたら、この問題を学院評議会に提出いたします。それでも、なを、わたくしの問題が省みられることがないというのであれば、わたくしの置かれた状況を世界中の新聞に公にするのも、やむをえないでしょう。

00:40:55
この手紙を書いているあいだじゅう、ドヴォルザークはなんとなくそわそわして落ち着きなく見えました。その理由は、その文章のあとまことに、自分の手で、次のように書き足したことからもうかがわれます。

恐れ入りますが、どうか、これ以上、ずるずると引き延ばさないでください。わたくしとしてはこの件は内密にしておきたいのです。でも、いまのような状態がこのまま続くのだけは、もう、ほんとに耐えられません。

 

その後、ドヴォルザークがジャネット・サーバー女史と個人的に会ったとき、サーバー女史は最後の、絶望的な提案をしました。

00:41:23
「ご存知ないかもしれませんが、わたくしの母がもう危篤ですのよ。ですから、あたし母から相続しました遺産のなかからお払いします。あたくし、喜んで誓約書を書きますわ。

00:41:44
そのような提案をドヴォルザークが受け入れるはずはありません。
「そんな、人が亡くなるのを待つなんてこと、わたしにはできません!」 それでも、ジャネット・サーバー女史の極端なまでの好意が彼を騎士的な態度を取らせることになりました。そして、今後とも危機にひんした音楽院の指導者としての役割をはたし、音楽院での教授の期間も延長することに同意したのです。 そしてサーバー夫人は今後の年俸もたったの一万ドルに下げることも納得させました。給料は安くなり、授業時間も短縮されたのです。

00:42:06
それに、ドヴォルザークは、もしどちらかが自分の義務を果たすことができなくなった場合、このこの同意はいつでも破棄することができるという、追加条項までくわえました。まったく騎士的な同意といえます。

00:42:33
奇跡を待つことは永遠に待つことです。何日後に起こるのでしょう? 十日後、それとも百日後? それはよどんだ水の流れのように、続きます。ドヴォルザークの創作力もにぶってきました。発送も意欲も失われてしまいました。マダム・サーバーは、せめてアメリカ国旗のカンタータを書き上げたらどうかと催促しました。本当はそれを書き上げていたのです。しかし、しまいこんだままでした。一度も演奏されたことはありません。――ですから、わたしたちがその曲をはじめて聞くのです。少なくともその断片ではありますがね。

00:44:42
まるで、待ち構えていたかのようにそこへ楽譜出版者のジムロックから手紙が届きました。長い空白の期間を飛び越えて、まるで親友のように呼びかけてきたのです。

親愛なるアントニーンよ
この怠け者、わたしのところに何一つ作品を送ってこないとはどうしたことだ? チェコのライオンはまだお昼寝の最中か? 君のシンフォニーのことはわたしの耳にも入っている。 ほかにも何か作品はあるのか? あるのならそれをもって、わたしのところえ来なさい!
君の白髪頭の爺(じじい)フリツェクより。



00:45:10
ドヴォルザークは心ひそかに、ほくそ笑みながら返事を書きました。

わたくしのシンフォニーにかぎって言えば、新聞には、これまで、かつて、これほどの成功をおさめた作曲家はあるまいと書かれています。事実、わたくしは王様のように、ボックス席から観客の喝采に応えなければなりませんでした。



そして、控えめな、恥らうかのようなそぶりさえ見せようとしているのです。

わたくしはこつこつと真面目に作曲しています。でも、それは単に、わたくしの楽しみのためにすぎません。わたくしは、何かに拘束されるのがいやなのです。

しかし、やがて、見せかけの恥じらいは、具体的な商売の話に進みます。

わたくしは「テ・デウム」三つの連作序曲「自然」「生命」「愛」の序曲三部作(チクルス)「新世界交響曲」そのほか一連の室内楽作品を提供できます。もちろん印税について同意が得られればですが。わたくしとしては「連作序曲」に二千マルク、シンフォニーに二千マルク、四重奏曲に五百マルク、「弦楽五重奏曲」に三千マルクでお渡しいたしましょう。



00:46:07
ジムロックは間髪をいれず、大西洋の向こうで雷を落としました。

この、くそったれめ、わしを破産させようってのか!

そして楽譜も見ず、ためしに弾いてみもせずに、包みを丸ごと受け取り、ドヴォルザークの個人口座に総額一万一千五百マルクを振んだのです。

00:46:27
ジムロックは、これまではいつも言い争いの種になっていたこと――曲のタイトルドイツ語だけでなくチェコ語でも入れること――にもすんなり同意しました。それどころか、楽譜の校正にしても海を渡っていったり来たりするような、ややこしい手間は取らせないで、ベルリンで即座に、それも大ブラームス先生自らあの退屈な校正を引き受けてくださる、という保証まで手に入れたのです。

00:46:46
ドヴォルザークは大喜びでした。「わたしちの間に和平交渉が成立したぞ」 そしてアンナ夫人も喜びました。「あなた、あたしたちもとうとうヨーロッパで認められたのね」

00:46:59(マーレル)
祖国からの手紙のなかでもっとも注目に値するのは音楽院宛に送られてきたこの手紙です。ヨゼフィーナ・コウニツォヴァーが書いたものです。

親愛なるアントニーンさま
あたくしの悲しい人生はいま頂点にあります。あたくしの心臓は不規則に打ち始めました。もう、おたがいにお会いできないのではないかと心配です。でも、きっとそっちのほうがいいのかもね。あたしは年を取ったわ。あたしはぶくぶくと太ったし、馬車に乗るときには、みんなであたしを押し込むのよ。ほんとうは、あたしに残っているのはあなたの音楽だけよ。そのなかでも、『ああ、わが魂のひとり夢見るとき』が一番好きよ。だから、わたしは幸せにこの世を去っていくわ。

あなたのヨゼフィーナ



P.S. わたしの手紙、お読みになったら、すぐに焼き捨ててちょうだい。

00:47:45
それから、ドヴォルザークは学生たちのところへいき、チェリストの学生に、チェロの指づかいを実演して見せてくれるように頼みました。
「わたしはこれまで、チェロを愛と結びつけて考えたことはなかった。高音は甲高い、低音はうなる。しかし、中音部は一種の憧憬の心情をはっきりとあらわしている」 こうしてヨゼフィーナに返事を書く代わりに、彼女のためにチェロ協奏曲を作曲し始めたのです。

00:48:15(ナレーター)
ドヴォルザークがチェロ協奏曲を作曲しているとき、自分の生涯のなかで出会った、運命的な二人の女性――ヨゼフィーナとじゃネット――が姿形だけが似ているのではないという、まえまえから感じていた印象を思い浮かべていました。いまや彼女たちの運命までも重ね合わせ、一人の魅惑的な人物像に一体化させていったのです。そのことが彼をせきたてました。いつまでもスコアを前にして座りつづけていました。どこにも行かず、誰とも会いませんでした。

00:49:07(マーレル)
いまや、もう、お金のことも、未払いの給与のことも頭にありませんでした。反対にマダム・サーバーに彼の学期を短縮してくれるように頼みました。はじめは六月まで、次には五月まで、そしてとうとう四月までになりました。そして一月には自分と家族のための船の乗船券を買いました。その船はザーレ号、まさしく、アメリカに来たときに乗った船でした。

00:49:32

ですからザーレ号が港に錨を下ろしたときは、そして客船訪問日などには、ドヴォルザークはいつも、長い時間船にとどまりました。そして自分の船室である六十七号室に入り込みました。そして、本当はチェロ協奏曲の一部はここで生まれたのです。あのすばらしく甘美な「アダージオ・マ・ノン・トロッポ」はここで作曲していたのです。

00:50:05
彼はまだニューヨークにいるのです。でも、心はすでに、とっくの昔に故郷への道をたどっていたのです。

00:50:20
ドヴォルザークはアメリカ滞在の締めくくりとして、学院コンサートを企画しました。ただし、それはサーバー夫人のためだけのコンサートでした。ドヴォルザークは学院長を貴賓席にすわらせ――じっさい、ホールの中は彼女ただ一人だったのです――それから学生たちのオーケストラに向かって合図をしました。それから彼女のためにあらゆる時代を通しての最高傑作のチェロ・コンチェルトからの抜粋を演奏したのです。

00:51:57
そして学院長は巨匠ドヴォルザークに感謝を述べました。「わたくしの敗北は、ほかの人たちの勝利以上のものをもたらしました。夜、ドヴォルザークはツグミに話しかけました。
「わたしもおまえと同じだ、なあ、ヨゼフ――籠から出られないんだよ。アメリカはいまどん底の、お先真っ暗な時代だが、きっとこの苦境を乗り越えるだろう。わたしはここにぐずぐずと、とどまっていないほうがいいようだ」 それから鳥篭の扉を開けました。「おまえはわたしの魂の一部だ。わたしの代わりに、おまえはここにとどまってくれ」 そしてツグミを放してやりました。

00:51:40
誰が何と言おうがどう思おうが、ドヴォルザークは一時も早く祖国へ帰るという結論に達したのです。そして決心しました。
「もし、幸運にも途中、船が沈んだりしないで帰りつけたら、神に感謝の気持ちをこめて、トチェプスコ村の教会にオルガンを寄贈しよう」

00:52:10
ご存じのように、ドヴォルザークは自作の大曲はすべて自分の手で上演しました。初演では自分で指揮をしました。それによって、それらの曲がどのように演奏されることを望んでいるかを示したのです。しかし、新世界交響曲だけは、自分で指揮をしたのはプラハに帰ってきてからでした。

00:52:30
ドヴォルザークが指揮台にあがったとき、全員が立ち上がり、大きな喚声と拍手喝采が沸き起こりました。なぜなら、みんなは世界を制覇し、アメリカから凱旋してきたもっとも輝かしいチェコの息子に歓迎の意を表したかったからです。すると、ドヴォルザークは立ったまま、みんなを見回しました。なぜなら、すべては複雑であることがわかっていたからです。そしてすでに、とっくの昔に、名声や、富や、成功にたいする幻想を捨て去っていたからです。ですから、もう、おやめなさいというふうに、身振りで伝えました。

ところが、スタンディング・オベイションはいっそう激しさをますばかりでした。そこでドヴォルザークの流儀で叫びました。「静かになりなさい!」

00:53:15
おそらく、芸術家が自分に拍手を送る観客を怒鳴りつけたのは、たぶん、これが最初で、おそらく、これが最後だったかもしれません。そして、やがて、聴衆とともに真の芸術的作品に集中したのです。アメリカみやげとして彼らのところに持ち帰ったものを演奏しました。それははっきり言って、全世界の人々への贈り物です。ですが、とりわけチェコの聴衆に捧げられたものです。

00:54:25
ドヴォルザークがアメリカから帰ってきてからあと、この美しくも、驚くべき世界に着いて彼の知らない何か大事なことは合ったのでしょうか? たぶん、それは――疑いもなく――次の作品においては、あの完成されたシェークスピアの道を進んだのです。シャークスピアは最初は歴史劇からはじめました。そしてその絶頂期において「ハムレット」「マクベス」「リア王」「オセロ」を書きました。そして最後に、善と悪とのとの葛藤を唯一解決することのできる世界、つまり童話の世界へ傾いていったのです。

00:55:11
アントニーン・ドヴォルザークは人間の深遠な知恵の方向へ傾き、「花束」の連作、童話オペラ「悪魔とカーチャ」そして王子を愛したがゆえにその代償を支払うことになる童話のヒロインの魔法の物語「ルサルカ」を作曲します。

00:55:32
たぶん、この話の筋は、アントニーン・ドヴォルザークの身近でおこったある出来事を皆さんに思い出させるでしょう。そうです。「月の光」のアリアは本来、「糸杉」のなかの第十一曲目の歌なのです。

00:56:50

たしかに、わたしは、
わたしのあるがままの、わたしとして、ありつづける
いとも素朴なチェコ人として・・・…
アントニーン・ドヴォルザーク



00:57:52
さて、もう少し、真剣に、第三のミレニアム、二十一世紀に持っていくことのできる価値について考えてみましょう。ある程度の回答は、永遠と無限と言うカテゴリーの中で考えている人たちがわたしたちにヒントをくれました。それは宇宙飛行士です。

00:57:45
月面着陸によってすでに二十一世紀ははじまっていたと言えます。N.アームストロング飛行士は宇宙船から月面に降り立ったときに人類にとっての大いなる一歩だというような有名な言葉を発しましたが、そのとき宇宙服のなかのカセットテープで月面に、ドヴォルザークの新世界交響曲を流したのです。ドヴォルザークと彼の音楽は、疑いもなくインスピレーションに満ちた価値として二十一世紀にも生きつづけるでしょう。



00:58:36
原案・脚本:ズデニェク・マーレル

使用された音楽(以下に列記)

アントニーン・ドヴォルザーク
スタバート・マーテル
テ・デウム
スラヴ舞曲第7番、第10番
アメリカの旗
カーニヴァル
交響曲第7番ニ単調よりスケルツオ
交響曲第8番ニ長調よりアダージオ
チェコ組曲作品39
わが故郷
五重奏曲変ホ長調
チェロ協奏曲ロ短調ルサルカ主よ、汝、わが導きの人(本文中でなんと訳したか忘れました。導きの人=羊飼い=牧師)
交響曲第9番「新世界より」

ルードウィッヒ。ヴァン・ベートーベン
ソナタニ長調「パストラール」

ウォルフガング・アマデェウス・モーツァルト
ドン・ジョヴァンニ

ジョン・スーザスターズ・アンド・ストライプス

以下の団体のご協力に感謝します

スピルヴィル・同郷人コミュニティー
ズロニツェ・アントニーン・ドヴォルザーク記念館
ヴィソカー・ウ・プシーブラニェ・アントニーン・ドヴォルザーク記念館
チェコ・フィルハーモニー
アントニーン・ドヴォルザークの友人会
チェコ音楽博物館


協力者スヴァトプルク・カーラ
ミラン・ジマ
ヤン・トリネル
オルジフ・ハヴェルカ
イジー・ズナメナーチェク
マルチン・ヴィエトロヴェツ
ヤクブ・ヴォヴェス
センタ・マイルド
および

舞台技術照明スタジオ KH 5
音楽協力: スタニスラフ・ヴァニェック
建築: ヤン・スカルピーシェク
制作主任助手: アンドレア・マツコヴァー
制作副主任: マルツェラ・ティーツォヴァー
音響: ミロスラフ・フジェベイク
制作主任: フランチシェク・カロッフ
編集: ボリス・マヒトカ
カメラ: マレック・イーハ
演出: ズデニェク・ティッツ
チェストミール・コペツキーの創造グループ

(c) チェコ・テレビ 1998年

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