芸術と貧困               

NL_1917.11.07
   

   最近、なんとなく、恐らく、理由なしにというわけでもないのでしょうが、作家の原稿料の問題がもちあがってきています。きわめてはっきりしていることは、考えられるなかで最も安い人間の労働は、いわゆる永遠のための労働だということです。
   改善は不可能ではありません。ペットルにしてもパヴェルにしても、十六頁につき三十コルンか四十コルンという安い原稿料の作家です。したがって、この二人はこのみじめな数字を倍増するという明確な要求において意見を一致させることができます。    生存権闘争はここでは作家と出版社との間で起こります。作家の社会的敵が出版社であるということははっきりしています。だから、少なくとも道徳的に追及することくらいはできるわけです。
   造形芸術の場合は貧困の問題はさらに複雑になります。とくに文学の場合のように直線的かつ明確ではありません。ペットルがまだ乾ききってもいない絵を一万コルンで売っているというのに、パヴェルは自分の絵を五十コルンで引き取ってくれる人を絶望的に探し回っています。ここには作家を団結させたような納得のいく平等の片鱗さえもありません。

   第二に、貧しい芸術家の「社会的」敵は正体不明(アナニマス)なのです。つまり一般大衆そのものです。文学の場合の出版社のように、作者と大衆との間の責任ある仲介者がここにはいないのです。造形芸術家は圧倒的な、無理解な、御しがたい力にたいして、つまり一般大衆にたいして、直接に、なんの保護もなしに立ち向かっているのです。芸術市場のこの上もない不安定性はここに由来しています。
   わが国ではどんなに多作な作家でも、それだけで生活ができるほどには著作で稼いではいません。ところが造形芸術家が年に三万から四万コルンを稼ぐという例なら幾らもありましたし、わが国にもあります。もちろん人気者がいるのはいずこの世界も同じで、最大の成功を納めたものが最良であるとは限りません。考えてもみてください。私たちの生活のなかで年収三万コルンもある人はすでに大富豪です。さらにわが国の展覧会で五千ないし一万コルンというのは決して高い値段ではありません。このような造形芸術作品の場合には、買手は作者の名前に満足して金を払うのであって、美的価値はお金で評価されてはいないのです。だから、結局、お金で評価されるのは有名な名前だということになります。

   マダム・レベヌールは昔ベルノンベーユのオークションでレンブラント派と添書されていたかなり出来の悪い絵を一万四千フランで買ったのですが、プロシャ人の総支配人ボーデがレンブラントの絵だと断言したため、レベヌール夫人のあと、オークションで一挙にその値が四万七千フランに跳ね上がったのです。
   そんなわけで、現代の芸術においても先ず何よりも名前がものを言うのです。このまったく勝手な思い込みの、非物質的価値が実は芸術作品の値段の唯一の確固不動の尺度になっているというのは驚くべきことです。

   しかし、もし芸術家の名前がこのような市場価値をまだもっていないか、または、まったくもっていなかったとしたら、もっと始末におえないことになります。そうなったら買手は絵の何を買うのでしょう?
 もともと絵は家具なのです。先頃プラハのオークションで有名な名前の入った美しい海の絵がしかるべき値段三千八百コルンで売られました。しかしその一方で署名のないほとんど同じ値打ちの海の絵は四百四十五コルンにしかなりませんでした。プラハの画商の店には、オリジナルな作品で金色の額縁に収まった絵が八〇から一〇〇コルンで出ています。額縁代と画商の儲けを差し引くと、画家に残るのはいいとこ四〇コルンです。その際、問題となるのは画家がこのような四〇コルンの絵を一週間に何枚描き上げられるかではなくて、その絵を一週間に何枚売ることができるかです。
   私は自分の絵を二〇コルンで売っているわが国の画家を知っていますが、私に言わせれば、それらの絵が現在の通貨価値で少なくとも六百コルンの価値はあると保証できます。
 ヴァン・ゴッホは自分の絵を二〇フランで売っていました。モンティツェッリは夕食の代金として渡しました。絵のなかに悪名たかき「サイン」がされなくなったら、たちまち値段に混乱が生じるか、たちまち芸術が価値を失ってしまうでしょう。

   実際問題として芸術作品の値段を測定する物差しはありません。古い絵画の場合は大なり小なり精密な、技術をはっきり意識した画家の作業が見えてきます。だから少なくともこの仕事は素人にでも評価できます。しかし、今日、一部悪い意味に理解された印象主義の影響のもとに、絵が比較的容易で手軽な、パターン化した技法で描かれるようになりました。風景画家のなかには面白半分に一日に三、四枚の絵をでっちあげ、二〇コルン以上で売り出しています。このようなことが苦心をしながら、より一層の責任感を意識して創作にはげむ芸術家の仕事までもひどく低く評価させることになるのは当然です。

   この価格の無政府状態に加えて、わが国では芸術作品が極めてわずかしか購入されないという事実を考えなければなりません。大きな展覧会でも「売約済み」の札のついた絵を三点か四点見付けるのだって容易ではありません。その理由として画家自身が展示作品を手放さないということもあるでしょうが、その理由の大部分は芸術の友はだれもが芸術家をプライベートな生活のなかで探している、しかも信じられないような安い値段で絵を買い取るためということにあるからです。
   このことは、すべて自分の作品が大衆の趣味と無縁ではありえない芸術家について言えることです。新傾向の作品となると事情は百倍も悪くなります。展覧会はそのような新芸術を拒否しますから、公衆への唯一の門でさえ彼らにたいしては閉ざされたままなのです。
画家たちが自分たちの手で展覧会を開こうとしても――すすでに額縁代が彼らの全収入を越えてしまします。ほとんどの画家たちはかってのパリの印象派の画家たちのように、しばしば絵を買い取ってくれる高貴な精神の持主である菓子屋や酒場の主人を探し出せずにいます。その他にもルノワールの生活を支えてくれた貧しいショケ氏、あるいはシャック伯爵、または代理人のグラニエ氏などがあります。

   わが国では不思議なことにこの種の献身的な、多少変人のメセナーシュの存在を可能とする土壌に乏しいようです。これらのメセナーシュはアカデミーや大規模な基金以上に芸術の発展に大きな役割を演じたのです。通俗的な趣味に屈しないこれらの芸術家たちの貧困について語るいろんなエピソードがあります。
    例えば、ミュルジュールの『ボエーム』が直ぐにも思いうかびます。しかし、あまり楽しいものとは言いかねます。若者にとってボヘミアンであることは容易です。ためらうことなく父親か伯母さんに幾らかのお金をねだればいいのです。しかし、いい年をした男にとっては食事代や寒々とした部屋の代すら稼ぐことができないというのは、もはや苦痛とさえ感じられるはずです。残された道は妥協するか、絶望的な抵抗を試みるしかありません。私はそういう芸術家を知っています。一人は代理業者になり、一人は軍隊に志願し、別の一人は書記になりました。造形芸術家のなかには一般の労働者が想像もできないような貧困が本当にあるのです。
   想像してみもてください。造形芸術におけるこの価格のアナーキーと物質的窮状がある一方で、作品にたいするおとぎ話のような値段があるのです――しかも、その当時は伝説的なほど貧しかった芸術家の作品の値段なのです。レンブラントが数百万、ミレー、ドガが数十万、ルノアール、シスレイ、ヴァン・ゴッホが数万。ここに芸術の物質的側面のばかばかしいパラドックスがあるのです。

 * Murger,Henri(1822 1861)フランスの小説家、劇作家。十九世紀の記述的レアリズムの代表者。もっとも有名な小説は『パリのボヘミアンの生活より』である。この作品は劇化され、オペラ化された(プッチーニ『ボエーム』)。[チェコ小百科]