<チェコ歴史年表>


紀元 前約100 000  ネアンデルタール人ガーノフツェ<スロヴァキア>で発見
    前約25 000  ホモ・サピエンス
    前約12 000  最後の氷河期の終わり
    前約4500  2500  新石器時代
    前約1800   700  青銅器時代
    前約1500  モヒラ(古墳)族の侵入
    前約1000  骨壷の野原人の侵入
    前約700  紀元初頃  鉄器時代
    前約400  ケルト人の侵入
    紀元初頃  ローマ人のドナウ河地帯への浸透
西暦紀元<後>  179  わが国の領土内から最初の文字記録  トレンチアーンスカー・スカラ
       4−6世紀  民族大移動
         500頃  フン族の侵入
       5−6世紀  わが国領土をスラヴ人が完全に支配
          623−658 サーモ王国
          631  ヴォガスチスブルクでフランク族の敗北
       8世紀末  わが国土へのキリスト教の浸透の始まり。同時に、ラテン語、東フランクの影響。同時にビザンチン帝国との関係。
       9世紀初  モラヴァとニトラ公国の発生
         822  フランクフルト・ナド・モハネムにおけるモラヴァ人
         830頃 ニトラ・プリミノヴァ教会の聖別
         845  14人のチェコの王侯、レーゲンスブルグで洗礼を受ける
         862  大モラヴァ王国ロスチスラフ王、ビザンチンのミハル三世にスラヴ語でキリストの教えを伝えうる司祭を要請。
         863  コンスタンチンとメトジェイ、モラヴァに来る。
         869  コンスタンチン(キリル)没。
         885  大司教メトジェイ没
         894  スヴァトプルク公没、モラヴァ王国の分裂始まる。
       9世紀末 ボジボイ公(歴史的に証明される最初のプシェミスル王家の代表者)、プシェミスル王家の擡頭。
         906  大モラヴァ王国の崩壊
         921  ボジボイの甥ヴァーツラフ、支配者となる。
         935  ボレスラフによるヴァーツラフ公殺害
         960代 イブラヒム・イブン・ヤクブ、チェコ国を旅行。
         973  プラハ司教区設置。<参考・紫式部975−1031>
         995  スラヴニーコフツィの虐殺。(ボレルラフ二世による)
       10世紀  古代スラヴ文学「聖ルドミラの生涯」「聖ヴァーツラフの生涯」「聖ヴァーツラフ正典」
       10世紀末 クリスチアーンの作と言われているレゲンド(ラテン語)
        1000  シュチェパーン公、最初のハンガリー王となる。
        1003  ボレスラフ・フラブリーによるチェコ支配。
        1018  1097 スロバキア、ハンガリーの一部となる。
        1025  ボレスラフ・フラブリーの死。
        1032  サーザヴァ修道院設立。               
        1034  1055 ブジェチスラフIの治世。
        1042  ブジェチスラフIのスロバキア侵攻。
        1055  スピティフニェヴUによりサーバヴァのスラヴ人修道士追放される。
        1061  呼び戻し(ブラチスラフI により)。
        1097  再追放。
       11世紀   ヴィシェフラッド写本(1085頃)。
       12世紀初  コスマス(1045−1125)の年代記
        1126  クルシュナー山のフルメッツの戦闘
        1158  ヴラチスラフU、王位につく。
       12世紀後 プラハ・ユヂチナ橋建設(後に再建後のカレル橋となる) <参考・梁塵秘抄、1179>
        1180代 チェコ王位をめぐる抗争、絶頂になる。
        1197−1230 プシェミスル・オタカルTの治世
        1204  プロコプ、聖人となる。歌『聖ヴァーツラフ』成立の頃。
        1212  シチルスカー黄金勅書
        1222  オンドジェイUの黄金勅書
        1230−1253 ヴァーツラフIの治世
        1241−1242 モンゴル−タタール侵入
        1253−1278 プシェミスル・オタカルUの治世
        1278(8月26日) モラフスケー・ポレの戦闘
        1278−1305 ヴァーツラフUの治世
        1290−1301 オンドジェイVの治世
       13世紀末 王侯と騎士との貴族身分の区別化
        1300  ヴァーツラフUの鉱山法とプラハ金貨(グロシュ)
        1300  ヴァーツラフU、ポーランド王になる。
        1301  ヴァーツラフV、ハンガリー王になる。
       14世紀初 わが国最古の同業者組合
        1306(7月4日) プシェミスル家、断絶
        1308−1342 カレル・ロベルトの治世
        1308−1386 アンジュオフツィ、ハンガリー王位につく
       14世紀初 ダリミル年代記
        1310−1346 ヤン・ルツェンブルスキーの治世
        1312  ロズハアノフツェの戦闘
        1321  マツーシュ・チャーク・トレチアンスキーの死
        1342−1382 ルドヴィークTの治世
        1344  プラハ大司教区の設置
        1346  クレスチャクの戦闘
        1346−1378 カレルWの治世
        1348  プラハ新市街の建設
        1348(4月7日) プラハに大学の設置
        1356  カレルWの黄金勅書
        1370  ルドヴィークI、ポーランド王になる。
        1371頃 ヤン・フス、生れる。
        1378−1419 ヴァツラフWの治世
        1387  ジクムント、ハンガリー王になる
        1391  ベトレーム礼拝堂、建設。
        1400頃 教会内の対立。
       15世紀初 プラハ大学内部のウィクリフ支持派と反対派の対立。
        1409  (1月18日) クトナー・ホラ勅令。
        1412  免罪符販売反対の暴動
        1414  コンスタンツの宗教会議、招集。
        1415  (7月6日) ヤン・フスの焚刑。
        1419  (7月30日) プラハ、ノヴェー・ムニェストの変革。
        1420春 ターボルの建設。
        1420夏 プラハ四条項。
        1420  ヴィートコフの戦闘
        1421  プラハの指導による都市連合の形成。
              (4月) ヤン・ジシュカ、ターボル内の過激派を弾圧。
              (6月) 第一回、チャースラフスキー会議。
              ヤン・ジェリフスキー、プラハ市役所を牛耳る。
        1422.1.クトナー・ホラ、ニェメツキー・ブロットの戦闘。
        1422.3.プラハの支配権、裕福市民層に移る。
        1424  (6月) マレショフの戦闘。
              (10月11日) ヤン・ジシュカの死。
        1426  (7月) ウースティー・ナド・ラベムの戦闘。
        1426−1432 フス派軍のスロバキアおよび海外遠征。
        1427  (8月4日) タホバの戦い。
        1431  (8月14日) ドマジュリツェの戦い。
        1434  (5月30日) リパニの戦い、大プロコプの死。
        1436  ジクムント、チェコ王となる。バーゼルの協定
        1437  ヤン・ロハーチュ・ス・ドゥベーの処刑
        1447  イジー・ス・ポジェブラット、プラハを制圧
        1451  ルツェネッツの戦闘
        1450代 ペットル・アクサミット・ス・コショヴァ、兄弟団運動の指導者になる
        1456  東スロバキアの自作農民の暴動
        1457  兄弟団 Jednota bratrska の設立
        1458−1471 イジー・ポジェブラット王の治世
        1458−1490 マティアーシュ・コルヴィーン
        1462  法王による協定 kompaktat の破棄
        1462−1464 イジー・ス・ポジェブラットの平和提案に関する交渉
        1467  兄弟団教会の設立
        1467  ブラチスラヴァ・イストロポリタナ大学の設立
        1467  ヴェリケー・ポリャニにおける兄弟団の敗北
        1468  マティアーシュ・コルヴィーン、モラヴァ、スレスコ、ルジツェの領主        
        1468後 チェコ、最初の印刷本
        1471−1516 ヴラヂスラフU.ヤゲロフツィの治世
        1483  プラハにおける民衆蜂起
        1490  ヴラヂスラフU.ハンガリー王にもなる。
        1490代 ザーブジェスコとリトムニェジツェにおける隷属農民の蜂起とスロバキアの鉱山暴動
        1496  クトナー・ホラの鉱山暴動
        1500  ヴラヂスラフの土地制度
        1514  イジー・ドージャの蜂起
        1516  ヤーヒモフにおける金採掘の開始
        1516−1526 ルドヴィーク・ヤゲロヴェッツの治世
        1517  クシヴォクラーツコの農民暴動
        1517  聖ヴァーツラフの契約
        1521  チェコにおけるトーマス・ミュンツァー
        1525  ドイツ農民戦争のチェコにおける反響
        1525−1526 スロバキアにおける鉱山暴動
        1525  1600 タデアーシュ・ハーエク
        1526  モハーチュの戦い
        1526  オーストリア公フェルディナンドU.ハプスブルスキー、チェコ、ハンガリー王となる。
        1546−1547 チェコにおける最初の反ハプスブルグ闘争
        1547  ドイツにおけるプロテスタントの敗北
        16世紀後 チェコにおけるエズイット派の活動開始
        1562  ハーエク、ペットル・マッティオーリの「植物図鑑」翻訳
        1575  チェコの信仰告白
        1578  スロバキア最初の印刷工場がバンスカー・ビストリツエ、トルナヴァ、バルジェヨフにできる。
        1579−1594 クラリツカー聖書
        1604−1606 シュチェパーン・ボチュカイの反ハプスブルク暴動
        1606  スロバキアの鉱山暴動
        1609  ルドルフU.の憲章
        1610  ジリナの教会会議(福音派は公式にカトリック教会と分離された)
        1618  (5月23日) プラハ城の窓からの放り出し。
        1618−1648 三十年戦争。
        1619  プラハ貴族会議
        1619−1620 フリードリッヒ・ファルツキーの治世
        1620  (11月8日)「白山」の戦闘。
        1621  (6月21日) 反ハプスブルク抵抗の代表者27名の処刑
        1627  改正チェコ地域行政法、チェコ地方に施行。非カトリック教徒の追放
        1628  改正チェコ地域行政法、モラヴァ地方に施行
        1631−1632 東スロバキアにおける不自由農民の一揆
        1632  ペットル・チャーサーラの処刑
        1635  (6月30日) ザックセンの両ラウジッツ地方削譲
        1635  トルナヴァに大学設置
        1648  (10月24日) ウエストファーレンの平和条約
        1667  プレショヴァ・コレギウムの設立
        1670  コメンスキー(ヤン・アモス、1592〜)没
        1672  オラヴァの蜂起
        1680  チェコ地方における不自由農民の大一揆
        1683−1685 東スロバキアからトルコ人を追放
        1687  いわゆるプレショフの大逆殺
        1695  ヤン・スラットキー・コジナの処刑
        1703  フランチシュカ・ラーコーチーUの反ハプスブルク蜂起
        1711  サットマールの平和
        1713  ユライ・ヤーノシークの処刑
        1715  ホルニー・リトヴィーノフでマニュファクチャーの設立
        1725  バンスカー・シュチアヴニツァに織物マニュファクチャ−の誕生
        1728  ヤーン・マギンの『アポロギエ・スロヴァークー』
        1728−1737 G.R.ドンネルのブラチスラヴァでの活動
        1732  オポチェンスコにおける不自由農民の一揆
        1740−1780 マリエ・テレジエの治世
        1741−1742 プラハにフランス軍進駐
        1742  (6月11日) ヴラチスラフ平和条約。
                      この条約によってマリエ・テレジエはフリードリッヒ二世にスレスコとクラッツコを割譲する。
        1744−1745 第二次スレスコ戦争
        1749  国家中央行政機関をウィーンに設置
        1753  わが国の最初の人口調査
        1753(−1829) ヨゼフ・ドブロフスキー生まれる。
        1754  プロコプ・ディヴィシュの避雷針
        1756−1763 七年戦争
        1762−1813 アントン・ベルノラーク
        1763  バンスカー・シュチアヴニツァに鉱山学校の設置
        1767  ハンガリーに土地人名台帳勅令
        1768  ドブジーシュスコにおける農奴の暴動
        1771−1772 最初の学術雑誌「プラゲル・ゲレールテ・ナッハリヒテン」発行
        1773  エズイット派の廃止
        1773−1849 ヨゼフ・ユングマン
        1775  (3月) チェコに大農奴暴動
        1775  (夏) 労役義務に反対する集団的反抗
        1775  (8月13日) 農奴勅令
        1780年代 小屋(Bouda )とよばれる愛国主義的劇場開設
        1780−1790 ヨゼフ二世の治世
        1781  (11月1日) チェコ領地内での農奴制の廃止
        1783−1787 「プレシュプルスケー・ノヴィニ」
        1784  プラハ四街区の併合
        1785  (7月22日) スロバキアにおける農奴制の廃止
        1786  プラハ・スタヴォフスケー劇場開設
        1787  標準スロバキア語にかんするA.ベルノラークの著作
        1789  ヴァーツラフ・マチェイ・クラメリウスの「愛国新聞」
        1793  チェコ語と文学の講座がプラハ大学に開設
        1793−1852 ヤーン・コラール
        1795  ハンガリーにおけるイグナーツ・マルチノヴィッチュの共謀、弾圧され              る。
        1795  (−1861) P.J.シャファジーク誕生
        1798(−1876) フランティシェク・パラツキー誕生
        1806  プラハ高等技術学校設立
        1811  プラハ音楽院開設
        1815−1817 ヨゼフ・ボジェクの最初の車と蒸気機関車
        1815(−1856) リュドヴィート・シュトゥール誕生
        1818  チェコ博物館の設立
        1821  南モラヴァにおける労役義務に反抗する集団暴動
        1820年代 蒸気機関の機械工業および産業への利用の開始
        1824  チェコ貯蓄銀行設立
        1825  チェコにおける最初の鉄道建設
        1826  ヨゼフ・レッススの船舶用スクリュー
              F.シュクロウプのオペラ『いかけ屋』初演
        1827  「チェコ博物館雑誌』創刊
        1830  (7月) フランスにおける革命
        1830−1831 コレラの流行/ポーランド蜂起
        1831  東スロバキア農民暴動
        1834  『わが祖国はいずこ』生れる
        1842  スロバキア貯蓄銀行設立
        1843  標準スロバキア語の体系化
        1843−1844 チェコ領地における労働者暴動
        1844  『タトラの山に雷光が走る』が生れる
              タトリーン協会設立
        1845  プラハ・オロモウツ・ウィーンの鉄道開通
        1846  ポーランド農民の暴動
              労役の免除にかんする宮廷勅令
        1848  (3月11日) プラハ・聖ヴァーツラフ温泉で大会
              (3月中旬) ウィーンとブダペシュトで革命的上演
              (3月18日) ハンガリーにおける農奴制の廃止
              (3月後半−4月) プラハ織物工の抗議行動
              (3月末) 南スロヴァキアの農民暴動とバンスカー・シュティアヴニツア鉱山労働者の抗議行動
              (4月) フェルディナント・オーストリア皇帝の内閣書簡
              (4月11日) フランクフルト・アン・マインへのフランティシェク・パラツキーの書簡
              (5月11日)「スロヴァキア人民の要求」
              (6月初) プラハ郊外の工場の軍隊による占拠
              (6月2日) スロヴァキア議会の開会
              (6月12−17日) プラハ6月暴動
              (9月7日) オーストリアにおける農奴制の廃止
              (9月18−28日) スロヴァキアへの義勇軍の遠征
              (10月) ウィーンの暴動
              (11月22日) クロムニェジーシュにおける帝国議会開会
              (12月) 「スロヴァキアのライムの木」の急進派の占領
        1848−1916 フランティシェク・ヨゼフ一世の治世
        1849  (3月7日) 帝国議会の分裂と議会の同意なき憲法の強制執行
        1849  (5月)−1853 「五月共謀」鎮圧のあとのプラハの包囲状態
        1849  (8月13日) ハンガリーにおける革命運動の敗北
        1850  ハンガリーにたいする関税障壁の撤廃
        1851  (12月)−1859 バッハ絶対主義体制
        1852  バンスカー・シュティアヴニツァの鉱山ストライキ
        1856  (7月29日) カレル・ハヴリーチェク・ボロフスキーの死
        1858  年鑑『マーイ』発行
        1859  徒弟制度の廃止と経済システム
        1860  (10月20日) 十月の勅許<diplom>
        1861  (2月26日) 二月憲法
              (6月6日) マルチン市における宣言 memorandum 集会
        1862  プラハ暫定劇場の開場<Prozatimni divadlo>
        1863  チェコ・ブルジョアの政策、消極的反対へ転換
              (8月4日)「スロヴァキア基金」 Matice slovenske
        1864  (9月28日) 第一次インターナショナル設立
        1866  ベドジフ・スメタナの歌劇『売られた花嫁』生まれる
              (6月−8月) オーストリア対プロシャ、イタリア戦争
        1867  二元的平等と十二月憲法
        1867−1871 集団的民衆運動
        1868  ベドジフ・スメタナのオペラ『ダリボル』生まれる。
              「スロヴァキアの新学校制度」生まれる。
              年鑑『ルフ』 Ruch
              (10月7日) プラハに厳戒体制の宣言
        1868−1872 チェコ領土内の産業革命と経済発展の最盛期
        1869  カトリック教会の影響の制限と新しい学校法
              労働組合『前進』 Vpred 設立
              (11月) ブラチスラヴァでの労働者大会
        1869−1870 ブルノ、リベレッツ、スヴァーロフにおけるストライキとデモ 
        1869  (1787−) ヤン・エヴァンゲリスタ プルキニェ・没
        1870  プロシャ対仏戦争に勝つ
              (8月7日) エシュチェットにおけるチェコとドイツの労働者大会
        1871年8月 基本条項(チェコ対オーストリア・ハンガリーとの関係)
        1871  (1820−) ヨゼフ・マーネス・没
        1873−1879 経済危機
        1874  雑誌『未来』 Budoucnost 創刊
              青年<チェコ>党設立
              (4月5−6日) ノイデルフルにおいてオーストリア社会民主党設立大会
        1875  (4月6日) 「スロバキア基金」解散
        1876  (1822−) ヤンコ・クラーリ・没
        1878  オーストリア−ハンガリー帝国によるボスニア・ヘルツェゴビナの占領
              (4月7日) チェコスロヴァキア社会民主党設立大会、ヴジェヴノフで開催
              フランティシェク・クシジークのアーク灯
        1879  チェコ・ブルジョアジーの積極政策はじまる
              (10月7日) オーストリア−ハンガリー複合帝国、ドイツとの条約締結
        1880  ハンガリー一般労働者党設立
        1882  プラハ大学の分割
        1883  プラハ国民劇場開場
        1884  (1824−) ベドジフ・スメタナ・没
        1885  ブルノの織物職人のストライキ
        1887  (12月) 社会民主党のブルノ大会
        1889−1890 ハインフェルトにおける統一大会
        1890  ハンガリー社会民主党設立
              (1月) チェコとドイツとの関係についてのウィーンにおける交渉。<通常、プンクタツェ punktace と呼ばれている>
              (5月1日) 最初の労働者の祭典
              (10月) チェコ科学と芸術のアカデミー創設
              (12月) ハンガリー社会民主党の設立
        1891(1834−) ヤン・ネルダ没
              (3月4日) 帝国委員会への選挙で青年チェコ党が勝利
              (5−10月) プラハにおける<チェコ>地方記念博覧会
        1893  (6−7月) プラハで普通選挙権を求めるデモ
        1895  プラハ民俗博覧会
        1896  (6月14日) プシェッドリタフスコで選挙権拡張
        1897  コプジブニツェで最初の自動車「プレシデント」が製造される
              民族社会党誕生
              (1849−) ジョゼフ・ボレスラフ・ペツカ・没
              (3月)帝国委員会にチェコ地方ではじめての労働者の代表選出
              (5月1日) スロヴァキアの雑誌『新時代』 Nova doba 創刊
              (10月1日) 新聞『人民の権利』 Pravo lidu 創刊
              (12月2日) ナショナリストの暴動の後、プラハに戒厳令
        1898  雑誌『声』 Hlas 創刊
        1900  (1−3月) チェコ領土内で鉱夫のストライキ
        1903  『インターナショナル』のチェコ・ヴァージョン出来る。
        1921  (1850−) ジョゼフ・ヒベシュ・没
        1904  (4月) ハンガリー鉄道労働者のゼネスト
              (10月1日) 『スロヴァキア労働新聞』創刊。
        1905  (1月22日) ペトログラードで流血事件
              (5月14日) 帝国委員会議員選挙でチェコ社会民主党大勝利
              (10月) 全ロシア・ゼネスト
              (11月初) チェコ領土内で民衆スト
              (11月28日) プシェッドリタフスコでゼネスト
        1907  (1月26日) プシェッドリタフスコで普通選挙権停止
              (10月) ハンガリーにおけるゼネスト計画
              (10月27日)チェルノヴェー・ウ・ロジュンベルクで民衆への発砲事件
        1908  (10月6日) オーストリア−ハンガリー帝国ボスニアとヘルツゴビナ併              合
        1911  (12月) ヤン・カシュパルのパルドゥヴィツェからプラハへの飛行
        1912  ロシア・ボルシェヴィキ党、プラハで大会
        1912  (5月) ハンガリーおよびスロヴァキアでのストライキ
        1914  (6月28日) サラエヴォでフランティシェク・フェルディナントの暗殺
              (同日) オーストリア−ハンガリー帝国、セルビアに宣戦布告
        1915  (4月3日) 第28連隊、ロシア軍に合流
        1917  (1852−) ラディスラフ・ザーポトツキー・没
              (3月12日) ロシアで二月革命
              (4月25) プロスチェイヨフで労働者のデモ
              (5月17日) チェコ作家の宣言(マニフェスト)
              (11月7日) 社会主義十月大革命
        1918  (1月6日) チェコ代議員の「三王宣言」
              (1月22日) オーストリアにおける一月ストライキは最高潮にたっする
              (2月1−3日) コトル湾での暴動
              (5月1日) リプトフスキー・ミクラーシュでの宣言
              (5月21日) ルンブルクでの軍隊の反乱
              (5月25−29日) チェコ−スロヴァキア共産党ロシアで設立
              (6月) クラグエヴァチュ<ユーゴ>で反戦暴動
              (7月13日) 民族委員会の設立
              (10月14日) チェコ領土内でゼネスト
              (10月28日) チェコ人民の登場−プラハでチェコスロヴァキア国の独立宣言
              (10月30日) スロヴァキア民族委員会のマルチン宣言
        1921  (1849−) パヴォル・オルサーグ・フヴィエズドスラフ・没
        1923  (1871−) ヤン・コチェラ・没
        1925  (1880−) ヤン・シュトゥルサ・没
        1928  (1854−) レオシュ・ヤナーチェク・没
        1947  (1875−) スタニスラフ・コストカ・ノイマン・没
              (1868−) ドゥシャン・ユルコヴィッチュ・没