[舞台監督の視点 No.4]


   「ある舞台事故裁判の結末」


==原告 八代英太氏  の訴訟代理人 山田尚典弁護士  への直撃インタビュー (きき手)田才益夫==



田才 ずいぶん長い裁判でしたが、山田さんは最初から八代英太氏の弁護士をされていたのですか?

山田 そうなんですね。というのは私の友人が八代さんとつき合いがありましてね。自分の友達の八代英太というのが事故にあっちゃたっていうんですね。それで当時 K 市に飛んでいったとき、もちろん、まだ本人が意識もほとんど回復していなかったころでしてね。その当時は警察も一方的に、主として K の職員の話だけ聞いてね、八代さんの自己過失だということで片づけようとしていたのですよ。
田才 なるほど……。

山田 で、ちょっとそれおかしいじゃないかと……。被害者本人の話聞いたのかと言ったら、「いや、ぜんぜん聞いていない」というんで、もう一度調べなおせと言って、それでまあ……。これはまったく根拠のない憶測ですけれども、やはり K 市の警察と、それからまあ愛知県警の担当と、相手が K 市という地方自治体の市の職員がからんでいるということだから、そこらへんの、そういう、悪い意味での配慮が働いていたんじゃないかと、僕はまあ、そう思っていますけどね。K 市の職員の言葉だけをほとんど基本にして、畠山みどりさんところの小池(仮名)という新米のマネジャーと称するものを槍玉にあげて、刑事事件を進めてしまったんですよ。だから僕にもまだ記憶がありますけれども、一審の刑事裁判の判決というのはかなり核心を突いているとおもうんですね。

で、話はまあ、あっちこっち行きますけど、僕は田才さんのあれ(舞台監督の視点『ある舞台事故の場合』舞台監督第十一号)を読まさせていただいてね、非常に――僕の立場としては――もう我が意を得たりというか、むしろ読んでいるうちに興奮してきましてね、お礼の手紙も差し上げたように、何と言いますか非常に興奮を覚えるくらい、ご専門の立場から核心を衝いておられるので感激しながらよんでいたんだけれども、それはまあさておいて、市も小池マネジャーも一審は無罪にしたんですよね。こんなものに責任はないと……。市の職員の証言も多大の疑問をかんじざるをえないというような、はっきりそのなかに書いてありましてね。
そしたら検事が、まあ、方や参議院議員というものだから――僕は要らないお節介というか、間違った気の使い方だとおもうけども――八代先生のために絶対に小池を有罪にして見せるとか何とか息巻いていたんですよ。それで東京高裁に刑事事件をもってきて、無理やりと言っちゃ言い方がわるいけれども、罰金刑かなんかで有罪判決を取ったんですよ。

だから刑事の裁判が先行したということで民事での僕の八代さんの弁護のプラス面とマイナス面があったんですよ。プラス面というのはまったくこちらは一方的にやられて、あと意識喪失しているような段階のものだから、何がどうして、どういうふうにおこったのか、こちら側というのはいわゆる加害者グループがどういう手順でやったというのはまったくわからないですよね。それらがおおよその見当がついたというのは刑事裁判の記録があったおかげで、たぶんこうなんじゃないかなという理論構成もして、私の主張自体も、まあ、多少微妙なところで変わってきた。というのは一番のポイントは最初の訴状を書いたときのこちらの事実の組み立てと言うか認識は、八代さんが舞台に出てセンターマイクの前に建ってしゃべり始めたら直ぐセリを下ろしてくれと、畠山さんが決めたんだという、その後ずうっと K 市がわが主張していた事実を、私どもも事実としてとらえてやってきたんですね。ところが調べてみると、どうもあまりにも矛盾が多いし、その後の証拠調べにおいても、そりゃ違うんじゃないかという考え方になってきて、一審のそれぞれの主張をするんで、準備手続きに入ったんです。

一般の民事裁判のときにはそんな準備手続きはやんないんですけども、当事者間の主張があまりにも錯綜しているときには、民事訴訟法上の手続きとして、準備手続きがあるんですね。普通ですと公判でもって原告や被告たちが自分たちの主張を書面を提出して、それを陳述するような形でやっていくんだけども、それがあんまり錯綜しちゃってると裁判所としては、どこをポイントとして考えて、どこをポイントとして証拠調べをしていいか分からないもんですからね、準備手続きに回すという形でもって、法廷でやらずに、三人の合議体のうちの一番若い、だいたい裁判官になりたての判事補にその準備手続きをやらせましてね、しれで、若いじゃないんだけれども――法廷だともうわれわれ代理人との間の、ああだこうだという遣り取りはぜんぜんないんですけどもね、準備手続きと言うのは若いみたいに、わりあいざっくばらんに遣り取りするんですね。

それをずうっとやって、じゃあ、これから証拠調べにはいろうというときに、要約調書というのを裁判所が作るんです。あらかたの主張はこういうことでいいんですねと、で、それでまずいようだったら訂正しますからなんかおっしゃってくださいって――そういう具合にして要約書を作るんだが、要約書ができあがる間際というほどでもないけど、そのころになって原告、つまり私どものほうの主張が、セリを下ろすタイミングというのは決めていなかったというふうに主張を変えているんですね、僕のほうで。

で、僕の話はあっちに行ったりこっちに行ったりするんだけども、もとへもどって検事のほうの刑事手続きが先に進んだということのプラス面というのは、どう切り出せばいいか材料がまったくないときに、ある程度の材料を提供してくれたと言うことと、あとマイナス面はね、皮肉なことに、警察官とかほかの証人が出て証人尋問をしていきますね、そうすると、検事が市の職員にたいして質問をする質問の仕方、あるいは市の職員ではなしに小池被告にたいする質問の仕方、その他諸々の刑事事件に出てくる証人にたいする質問の仕方というのは、あたかも民事裁判における K 市の弁護人、いや民事裁判だから代理人、この K 市の代理人が K 市に有利に――まあ、われわれは代理人ですから依頼者に有利になるような尋問の仕方を当然するわけだけども――刑事事件における検察官の審問がですね、それと同じ方向で尋問しているんですよ。というのは K 市の責任をうすくうすく、限りなくゼロにまで薄くしていくということによって、小池被告の責任をクローズアップしようという……、ありありと尋問の調書を見ると出てくるわけですね。おもしろいことにね、民事事件における畠山さんおよびG ・ A プロダクションですか、その会社の代理人をやっている E さんと言う弁護士が、刑事事件における小池被告の弁護人として法廷に出てきて審問をやっているんだけども、この人の尋問の姿勢がね、この民事事件における僕と同じ姿勢を取っているんですよ。

つまり小池被告の弁護をするために、他の証人にたいしては「あんたは自分の責任を、そう言って回避しているじゃないか」というようなね。それをみているとね、面白いことは、単なる興味本位には面白いんだけど、僕が民事事件でマイナス面だというのは、刑事事件において検察官がやりすぎて、つつきまわしちゃっているから、それにたいしてどういう答え方をしたらいいかという打ち合わせというか、防御と言いますかね、まあ、主として K 市側の職員が多いんだけども、それがトレーニングされちゃっているんですよね。こういう質問がきたらこう答えるんだよという――。生(なま)の状態で民事裁判のときに証人に出てくればやりやすいんだけども、そういう意味で検察官にかき回されちゃって、事実が小池被告人を有罪にするのが八代先生のためにはっていってるこど、僕にとってはむしろ八代さんにとってマイナスであって、事実の真相がゆがめられているというような形でもって、実際に進行したというのが僕の印象としては現実なんですね。

まあ、田才さんのほうから送っていただいた『ある舞台事故の場合』というこれはね、本当に、あたりまえと言えば専門の立場でかかれているからあたりまえなのかもしれないけど、あたりまえの以前に、どれだけの記録をご覧になったの?

田才 まだ、申し上げておりませんでしたけども、実は最初に接触したのは畠山さんの弁護士の E さんだったんです。どうしてかというと、一審判決の新聞記事に E さんのコメントだけ出てましてね、どの新聞にも。

山田 ほう、そうでしたかね。

田才 それで E さんにお会いして、第一審の判決文ですか、それのコピーをいただいて、資料としてはそれだけです。
山田 それだけでもって、あれだけのものを書かれたの?
田才 ええ。
山田 そりゃ、すばらしいな。と言うのはね、僕はあなたの論文を読んだとたんにね、全部の証人調書のあれをね、全部ご覧になっているんだとおもっていましたよ。
田才 いえいえ、判決文というのがございますね。「主文」と「理由」と二つに分かれている……、かなりくわしく書いてあります……あれだけです。
山田 それにしても驚いたな。
田才 あと多少、名古屋のプロダクションの……
山田 H 興行?
田才 H 興行ではない、別の、参考証言として……
山田 ええ、出ていますね。
田才 あれを一つか二つ。それだけです。
山田 ああ、そうですか。いや、僕、それぞれの主張がこれだけ、三者というか四者の主張がこれだけ出てるんですよね。だから、当然、これらのものをご覧になっているだろうし、それから、もっと一番あれなのは刑事事件の書証として出している――高橋さん<女性秘書>、八代さんの事件の書証とか証人調書ある?――もちろん、いまさらそんなもの、貴方のお仕事に直接関係ないし、そのな時間もお忙しくてないだろうし、まったく興味本位でもって暇にまかせて、ひまがあるときに読んでみるよっていうんだったらお貸ししたいな。お貸ししたいというのもおかしいけどもね。あなたにとって迷惑だったら無理に押し付けるわけじゃないけど……。
田才 そうですね……。
山田 もうね、いや、僕はそれ全部ね、こんなのよく読んだなあと、おもいましたよ、これ拝見して。
田才 いや、もうまったく、そんなものは全然。ただ、その判決文だけです。
山田 そうですか。
田才 こんなにあるんですか? そりゃ大変だ。ちょっとお借りするってもんじゃありませんね。
山田 いやね、おそらくね……、ここいら辺を読んでいただけりゃと、今度多少暇があるときに……。もちろん、こりゃ押し付けるつもりはないから、そんなもの要らないよって言われるかもしれないけど……。僕のほうで K 市の職員にたいする反対尋問をしているところもね、ピックアップしてよんでいただけるとね、そうすると……、ああ、これこれ、これを読むと、やっぱりという気持ちになるとおもうんだ。
田才 ああ、そうですか。
山田 間違いないと。だから、これらの証人調書をよまれたからね、これだけの、まあ、あえて推理というか、それをなさったんだろうと僕はおもっていた。
田才 いえ、全然、、こういうものは見ませんでした。
山田 そうですか。とにかく、だけど一つの面白い事件と――まあ、当事者にとってはおもしろいどころの騒ぎじゃないけども……
田才 ええ、ですからこれは一つの前例としてね、もうちょっと責任の所在だとか、そういったものをはっきりさせてもらいたかったという気が、われわれのほうとしてはするんですね。
山田 田才さんが最初にお書きになっている――僕はこれを読んだとき、こんなに勝手にしるしつけちゃったけども――ここで言われている、あいまいになっちゃってるという点をもっと具体的に問いただすべきだとおっしゃったのは、僕はまったく同感ですね。ここ、ここ「舞台にかかわる者の職能、職責がそもそも何であるかという認識が明確でないから、起こった事故の本質を舞台にかかわる者の職能の観点から分析しえないでいるのである」と、まったくおっしゃるとおりだとおもって、これは具体的にやらなきゃならないんじゃないかという気持ちがして……。僕は正直言うと、僕の、個人的な立場から言えば、高裁の判決はもらいたかったですね。どういう判断するか――。
田才 いただきたかったですね。
山田 ただ、これを和解でおわらしちゃったというのは、八代さん自身がもう、あまりにも長くなっちゃって、疲れてきちゃっているから、せっかく裁判所から和解勧告があれば、もう、それで争いをやめることができるならばそれですましちゃってくれという、本人からの強い意思もあったもんですから……。
田才 おそらく、八代さんの気持ちからすればそうだったんでしょうが、逆に、この和解勧告については、裁判所と K 市とのあいだに話し合いというものはなかったんでしょうか?
山田 いや、それはないと思います。裁判所外においては……。で、やっぱり高裁ではね、本当に、これはこの事件じゃなしに、一般論として申し上げるとですね、これは僕の偏見かもしれないけども、僕だけではなしに多くの弁護士が言っているから、ある程度本当じゃないかと思うんだけど、和解の進め方というものは、エゲツないほど強烈なんですよ、東京高裁というのは。たぶん、全部の事件にたいして。もっとも、和解になじむ事件とね、事件そのものが白黒ばちっとつけるよりも、和解でまとめたほうがいいじゃないかという本質的になじむ事件と、やっぱり白黒つけなきゃいけない事件があるけれども、おしなべて和解にたいする、まあ、はっきり言えば、なだめすかしたり、脅かしたりと、そこまで行ったら言い過ぎかもしれないけれども、なんでもかんでも和解にもっていこうという姿勢が裁判官――部によって多少というか、相当の差はありますけどもね、おしなべてその傾向が強いんだ。僕の推測、根拠のない推測なんだけども、最高裁判所から伝達かなんか行ってんじゃないかと思うんだ。
今、あまりにも事件が全部、とにかく、たった十五人といったって調査官がじじつじょうやってるわけですけども、最高裁に日本中の事件がみんな、負けりゃみんな上告してくるでしょう。で、上告なんていうのは、ほとんどみんなそのまま蹴っ飛ばされるんだけども、しkし、蹴っ飛ばすためには記録見なきゃならないでしょう。たまんねえから、上告しないように東京高裁は膝元なんだからね、全部、東京高裁で事件をおしまいにしなさいということが相当あると思うんですね。
田才 だから裁判所と K 市ではないにしても、何かそういう圧力がね……。出ないと、これがここまできて和解で済ませるというのは、司法の立場から明確にこの問題を捉えるという姿勢が完全にふやけていますよね。
山田 うむ、そういう意味では、いわゆる刑事事件における一般予防――これは民事事件だから刑事事件と本質的に違いますけどもね――こういう悪いことをすると、こういう風な罰を受けるんですよという一つの裁判所の答えを出すことによって犯罪を少なくするという意味の一般予防という機能はいま、田才さんがおっしゃるように放棄していると思うんだな。だからこういうことは本来、こういう芸能界にかかわるようなシステムにおいては、各人がこれだけの責任を負っているんだということを裁判所として法的な立場から示す、非常に、格好の事例だったと思うのですよう。
田才 格好というよりも……
山田 唯一というかね……
田才 これによって根拠と言いますかね、われわれの問題としてもね……。この勧告ではでは結局、第一審の、それぞれの当事者に、それぞれ幾分かずつの責任があるというような判断を継承しているのにすぎませんよね。そいうのは、多少、八代さんの賠償金というのは多くなったんですか?
山田 あのね、和解ですからね、少なくなっています。というのは七千万いくらかという判決よりも、一億というほうが金銭的には高くなりますけれども、昭和四十八年(1973)からやっている事件ですから、毎年の利息がつくんですよ。だから利息をくわえるとね、今の時点でいくらと言われても正確にはわからないけれども、一億三千万を越すくらいじゃないのかな。一日にちょうど一万円ずつの利息がつくんですよ。だから僕は本当のことを言うと八代さんの(自己)過失を二割認定したのも大変な不満であるし、とんでもないという気持ちがあるから、それも僕は高裁でもって本当は付帯控訴と言って、向こうが控訴したのにたいして、本当ならこっちからも控訴しちゃう。ただ、これ印紙貼ったりなんかしなきゃならないから、かなり費用が負担になるけども、まあ、向こうが控訴したときに、これもまあ印紙貼るんだからおなじだけども――そちらか控訴するんなら、こちらも控訴するよというのが付帯控訴と言うんですけどもね――一審の判決もらったときに矢代さんとしてはこれでもってホッと、一応の、百パーセント満足じゃないけどもね、公権的な判断がしめされたから、もうホッとしてから、早く終わってもらいために自分は控訴したくないと言ったから、僕は控訴しなかったんだけども、中身としちゃ、僕自身としては、いま、田才さんがおっしゃって、指摘しているような事実の認定がまちがっているということとね、それから、法的な判断として八代の過失相殺を認めたっていうのも、これも間違っているという点で十分戦いたかったんだけども、まあ、付帯控訴もしなかったから一審の判決以上に高裁がふくれあがることは――金額的にね――ありえないんですけども、ただ理論の判断と言うのは、過失相殺はすべきではないということであれば、そういう判断はくだされると思いますし、そういう意味では高裁の判決というのはもらいたかったけども、一つには最高裁からの有形無形の圧力があるんじゃないだろうかなと言うことを、それから、やはり裁判官に自信がないというか、意欲がなかったんじゃないかという点もあるような気がしますね。この世界について裁判官が弱点の世界であったというような。
それに H 興行のほうですが、H さん自身の気持ちとしてはね、なんでオレが訴えられなきゃならないんだという気持がね、本当に本人に逃げという意味じゃなしに、あったと思うんです。というのは、そういう感じでね、やってきてるんですよ。とにかく電話してね、金さえ決めればあとはこっちの知ったこっちゃナインだと。で、まあ依頼者が、これはまあ S 組というのの社員の家族の慰安会というのがあるんだけど、それだったら、その辺の地方だったら畠山さんあたりがいいかな、それにこのごろ八代っていうのが面白いから八代さんにも頼んでみようかなっていうぐらいの、じゃあ、前座でこっちへもってこようなんてことを、いわゆる興行者としてこう頭のなかで考えて、ギャラの計算して交渉して、じゃ、何時に頼むよって言えばそれで自分の仕事は全部おわりだと言う感覚でいたと思うんですね。だから向こうの弁護士が本当にそういうつもりでいるのか、あるいは立場上そうだと言っているか知らないけれども、実に無責任な、トンチンカンな主張をするわけですね、僕に言わせると。で、僕だってこんな世界はまったく門外漢ですから、この事件ではじめて、それも事件を担当しながら、ある程度少しずつ知識を得ていたんだけど、多少は、ほんのわずかでも平均的な弁護士よりか知ってたんじゃないかな。と、思うのは、僕、昔、高校演劇をやってたんですよ(笑い)。それでね、亡くなった俳優座の最初の卒業生で劇団仲間を主催していた中村俊一さんという、彼が僕らの五年先輩でね、「救心」なんかのコマーシャルに出てる俳優の佐藤英夫かな、が同級生で、僕らのところにしょっちゅう指導しにきてくれてたり、それから中村俊ちゃんの俳優座とか、劇団仲間を作ってからの芝居を見に行って、いろんなことをやってたことを知っているから、そういう意味の、ある程度の想像と言うか、理解と言うかね……なくはなかったかな。
そこへいくと裁判官と言うのは、よくて観客席から芝居を観たことがあるという程度だろうし、それが舞台に立って、スポットライトを浴びたときに、何も見えないで暗闇に向かってしゃべっているって感覚というのはいくら口で説明してもわかんないと思うんですね。で、後ろをちょっと振り向けば穴があいているのは分かるじゃないかというね、これはまあ立場だから言うのだろうけども、向こうの弁護士が言うわけですね。だから、冗談じゃないと。後ろを気にしながら演技ができるかと。いかにして暗闇のなかにいる観客を自分に引きつけるかという……。漫談をたった一人でやっているんだから……というわけで全神経を前方の客席に向けて集中している人間が、打合せのときとちがってセリが奈落へ下がっていくんだということをチラチラ気にしながら演技している考えられないんだよと言うことは、僕には実感としてわかるんですけどもね。まじめな話としてそういう議論が出てくるんですね。だから、これはちょっとむずかしい事件で、いかにしてそこら辺のところを裁判官にわからせようかということで、現場検証も終わりにもってこようか、最初にもってこようかで僕の立場で相当悩んだんですね。というのは、そのう、裁判官と言うのが三人で構成されているんですけど、やっぱり人事の関係でもって、こう、変わっていくんですよね。だから長期にわたる裁判だと、はじめのころに現場検証をやってしまうと、判決を書く裁判官というのは現場検証を見ていないで判決を書くわけですよ・そうすると、やっぱり証人やなんかこうやって記録に載りますしね、現場検証の調書というのはありますけど、これは警察の交通事故やなんかの現場検証と同じで、ただ書記官が客観的な事実関係を書くだけだから、あっこりゃあぶないかなとか、これも全然見えないなというような体感したものは活字になりませんからね。だから僕の作戦とすれば、本当の意味では、判決を書いてくれる裁判官がもうそろそろ判決を書いてくれるころだなと思ったときに……ということは証人尋問が全部終わったときに現場へ連れて行って、スポットライトも全部浴びさせてね、書いてもらったほうがより的確な判断をしてもらえるんじゃないかなというきもちもあったんだけともね、ただいっぺんも現場へ行かないで証人尋問してても、これまたやりにくいわけですね。だからまあ型通り、証人尋問がはじまるまえに現場検証してもらって、まあ、判決書く裁判官は一回も現実には現場に行っていないからわからないわけですけどもね。
田才 それも十年後でしたね。
山田 そうそう、ちょうど十年ですね。四十八年に事故で、五十年に訴訟を起こして、六十年に判決だったからちょうど十年ですね。
田才 そういうこともわれわれにはちょっと信じられない。しかも非常に重要と思う証言がその現場検証のときに出たわけでしょう。
山田 そうなんです。それでね、調書をお読みになって書かれたと思っていたんですけど、お読みになっていないということだったら、僕のほうでぜひお話ししときたのはね、八代はもう小池というマネジャーと思い込んでいたんです、ずうっと刑事裁判のときから。というのは,小池が来たということを弟のマネジャーから聞いているものdから、事故後何日かたって意識が回復したときに、まあ、弟からどうなったんだ、どうしてこうなっちゃたんだと、いろんなことを聞いた、精神的にも非常に不安定な状態でね、そんな時小池さんの名前も出たもんだからそう思い込んでいたんですね。ダヴィッド・ダヴィドヴィッチkら終始一貫して、刑事、検察庁の調べにたいしても「わたしは小池と打ち合わせした」「小池と打合せした」ときちゃって、ずっとすんできて……、ただ、ちょっと小柄の者で、肩が左か右か、こう、おっこってる人間だと僕のも言ったんですね。だけど小池であるということは彼は疑問を持っていなかったんです。ずうっと民事裁判を通じて……。ただ、その現場へ行って、いま申し上げたような、証人尋問するまえに一度現場へ行こうじゃないかといってはじめて石井と会ったときにね「先生、あれだ」っていうわけですよ。
田才 なるほどね、体の特徴がね……。
山田 「矢代さん、これは大変なことだよ」って僕は言ったわけだ。
田才 いや、たしかに、大変なことですよね……
山田 なんたって、事件の根幹にかかわることですからね。「いま、これをここで言っていいものか」というからね……。検証というのは証人尋問とちがって、そこで説明はしなすけども、誰がどこで何をしたっていうのは、ただ、状況の説明だけで、証言を言う場じゃないから、「いま、あなたは発言を止めておきなさい」と言って、抑えて、帰りの自動車のナかで一通りのことは聞いたんです。なぜ、それを直ぐ言わなかったかというと、とにかくすべての面でもって、市側の職員に谷沢、石井、樫山(いずれも仮名)とかなんとかのね、いわゆる事実隠蔽のためのリハーサルというのがね、僕に言わせれば如実に現われているからですよ。というのは、たとえば谷沢さんを証人で尋問してみる、それからセリボタンを押したものを尋問してみるということになるとね、「石井さん、じゃあ、あなたが指示したんですね」あるいは「樫山さん、あなたが指示を受けたのは、谷沢さんだったのですか、石井さんたったのですか」ってナことを聞くとね、「指示ではありません、連絡です」というようなね、言い方を三人とも全部されるわけだ。これはね、打合せしてさ、市のほうからか弁護士のほうからか、「ここで指示とか命令とかいう言葉を使っちゃいけませんよ」と、「じゃあ、なんという言葉にしましょうか?」「連絡にしときなさい」というようなリハーサルが行われていることは明々明々白々なんですよ、証人尋問してみると。だから全部同じような、ポイントのところは三人が三人とも、四人が四人とも同じ表現の証言をするわけだ。だけど普通ね、白紙の状態で証人に立った場合、そんなふうなことはありえないんですよ。
日本語というのは語彙が非常に多いから、人によって、個性によっておなじこと、同じ経験を表現する場合にもいろんな言葉を使うはずなのにね。みんな決まりきったような言葉でみんな帰ってくるんだ。ま、そういうようなことから、ここでもって石井の証人尋問がすむまでのあいだに、こちらで緒言的に石井がこういったんだというようなことを言うと、それにたいしてそれじゃ、どう答えようかということを必ず打合せするだろうから、こちらは証人尋問のその場でもってはじめて暴露してやろうという気持ちがあったから(現場検証で八代が思い出した石井との打ち合わせの件)書面で出さなかったんですよね。
で、それが K 市の弁護士から ”時機に遅れた主張” だといって、あそれは却下してくれと……、というのは、時機に遅れた攻撃方法はだめだと言うことは言えるんですけども、さすがに裁判長は「いや、それはそうではありませんよ」と、それなりの事情もあって、こうなったのだから「それはかまいません」といって主張としてはとりあげたんだけども、事実としては認定しなかった。まあ、そういうことで僕はね、じゃ、誰が連絡したんだというのは、やっぱり「谷沢さん、あんたが連絡したんだろう」ってことで、ぎゅんぎゅん突いたんだけど、そりゃあ「そうです」なんて言いっこないわね。あらゆる面の証人尋問の中から出てくると、田才さんがお書きになっていたことは――僕はいろんな調書をお読みになった上でここまで推察されてるんじゃないかと思っていたんで、(証人尋問などの記録を)お読みにならないで書かれたということになると、むしろそれ以上に我が意を得たりというかね……、たいしたもんだと思いますね。
田才 いや、(舞台)現場の状況と言うのはね、ほかにパターンがないんですよ。こういうときにはこう対処するということでしかないから、それに外れているとおかしいなと、感じざるをえないわけですね。だから「そろそろ下ろそうか」などというキューの出し方とか……
山田 そういうことについて僕のほうから自画自賛じゃないけども、かなりつっこんで尋問していくと、納得の行く答えというのは返ってきませんね、証人尋問で。
田才 そうですか……。そうすると一審後の再審と言いますか、その裁判において進んだ事実関係というか、やりとりというか、そういったことはどうなるんですか?
山田 それは準備書面と言う形で自分たちの考え方を述べていることと、あとは現場へ高裁の裁判官を連れて行って、事実上見せたということだけなんですよ。
田才 そのときはどういうことを実際にされたんですか?
山田 それは現場へ行きまして、その事件が起こった現場を見る――これが奈落ですよ。これが控室ですよ、そして実際にセリがセンターマイクがこうやって上がって……ということを事実上裁判官に見せて、そしてライティングなんかもやらせてみて、ただ、それだけです。そうは言っても、これも重要で好けども――それはそうとして、僕が和解でまとめたのは、矢代さんの意向を百パーセント尊重して、また裁判官が和解を強力にすすめたから従ったんだけども、もう一つのささやかな理由としてはね、東京高裁の裁判官を当てにしてなかったという部分もあるんだ。 田才 ほう、それはどういう……?
山田 というのは、そのとき来られた裁判官というのが……その裁判官の質問がね、「あっ、こりゃまるでわかっていないな」っていうようなね、全然、トンチンカンな、どうでもいいようなことに関心をもって質問するから、そのたんびにああだ、こうだって説明するんだけども……「ははあん」というこの人の応答の仕方から見て、この人の頭んなかにそういった舞台機構というか全部の、ハードの面からソフトの面から、全部ね、わからせるのはちょっと不可能じゃないかなって感じたんですよ。
田才 そうすると、判決までもっていくと、また、賭け見たいたことになる……。
山田 うん、トンチンカンな……。一審の判決が大きく外れるということはありえない。まあ、一審判決どおりだとおもうけども、もっと的確な判断をピチッとしてくれるかなということについての期待というものは、若干、薄かったのは確かです。
田才 なるほど、そうすると、もう、責任の所在とか、役割の解釈とか理解とか言うものついてはほとんど進まなかったんですね。
山田 ええ、高裁では一切意見は示しませんでした。そこまで行っていませんから。ただ、和解の中でね、面白いことに、和解担当の裁判官がね――まあ、三人の裁判官のうちのお一人がね担当されるわけですけれども、そして和解を準備されるときには三人全部そろうわけですが――僕にたいしてね「山田先生は、誰が一番悪いと思ってんですか?」っていうことをね、教えてくれって言うわけよ。これは、ちょっと、普通のわかいじゃ、こういう会話ってのは――原告の代理人と裁判官とのあいだにはありえないんですよ。で、僕がまあそのとき言ったのはね、「まあ、キッカケを作ったという意味では畠山さんだけど……畠山さんがセリを使うってなことを言わなければこの事故はころらなかったんだから……、でもセリを使うってことは別に違法じゃないんだからね、使うについてどういう立場や役割でそれぞれが配慮するかっていうことだから、それをそんなに責めるわけには行かない……、けれども、まあ、自分が言い出したことにたいして――まして、自分のショーのナかに組み込んでということを、いくら H 興行が言いだしたからっていったって、一応承知した以上、畠山さんと下って八代に連絡をして、リハーサルに呼ぶなり何なりってことを事実上、するべき立場にある人だと思いますよ。だから、これも悪いでしょうけども、法律的な意味でもって一番悪いのは H 興行だと思う。しかもこの人は一番悪いということを自覚していない。いまだに……。だけど法的な意味では、たった一つ、電話をするという、ごく簡単なね、電話でも何でも、八代のほうにれんらくして、あなたの出のときに畠山さんがセリを使うっていってるから、リハーサルに立会いなさいとか、畠山さんとよくうちあわせなさいとか……ひとこというべき、絶対いわなきゃならない立場にあったのが興行主、統括責任者の H 氏である。だから法的には認識は低いけれども、理屈の上から行けば H 興行が一番悪いだろう。だけどだけど、法的も事実上も全部から見て、本当に、一番罪が深いのは、悪質なのは市だ」と僕は言ったんです。
というのは、まずね、打ち合わせがどうで合ったか、こうで合ったっていうようなことを一切ゼロにしちゃって、白紙にしてもね、また舞台人としての経験があろうがなかろうが――経験のない人間をそこへ置いとくこと自体が市の管理責任の違反なんだけども――たとえ僕が、その日、臨時に呼び出されてボタンを押しなさいよと言われてもね、マイクの前でしゃべりだしている人間がそこにいるのに、ほんの一・七メートル後ろのセリのボタンを押すというのはね、絶対できることじゃないと……。だから、センターマイクに出たら直ぐに押すんだといわれて、また、キューが合ったから押したんだと言うような機械的なことじゃ責任は逃れられないよと。だから一番常識に反する行為をしたのはK 市のしょくいんだから、分量として一番悪いのは K 市だ――と、こういうような話を裁判官にして・・・・・・「あっ、そうですか」と――。それと金額の配分とはまた別でしょうけどもね……
田才 なるほど……。
山田 うん、ぼくはそう思っているんですね。
田才 結果的にはその線に沿った判決が出たわけですね。
山田 それはまあ、支払能力の関係で……、それはもう明々白々ですね。責任の上から言えば H さんが五百万で、しかも分割なんてことは本当はあっちゃいけないんだけども。
田才 和解の場合、支払能力も考えに入れられるんですか、多少は……?
山田 和解の場合にはたしょうというか、それが非常に大きく占めますね。というのは私のほうとしては、どなたにいくら払いなさい、となたにいくら払っていただきたいなどは一切言いません。裁判官がそれほど若いとおっしゃっているのなら、八代の気持ちもそうですから和解に応じます。ただし三月いっぱいまでに一億円支払いを受けるならば和解に応じてもいいです――と去年言っておいたんですよ。そしたら結局ずれ込んできちゃって五月になったけれども、まあ、たった二ヶ月遅れてどうのこうのって言うようことじゃないけども……H 興行が払えないとか、三百万にしてくれとか、ゼロにしてくれと言ったけど、そんなことは僕の知ったことじゃないから、三人でそろえて一億円作りなさいということで裁判官に下駄をあずけちゃったわけです。
山田 そうすると金額的に見れば畠山さんの場合、控訴してもたいした違いはなかったということですか?
山田 うむ、結局、僕はしいて和解をしなくてもいいと思っていたのは――こういう言い方はいけないかもしれないけれども――取りッぱぐれがないんですよ。判決もらって……というのは、判決をいくらもらっても支払能力のないものに対する判決は絵に描いた餅だけども、この場合には K 市という自治体が要るでしょう。だから判決があれば金利をまぜて百パーセント、必ず払いますよね。これは必ず払うんです。僕らのほうはそれをも立っちゃえばいいんであって、あとは K 市がおまえたちの分までまとめて払っといたから返しなさいよと言う訴訟を、つまり求償権の行使ですけどもね、求償訴訟を畠山、H興行にたいしてやると……、そうするとそれが取れるか取れないか、どれくらいの按配ですべきかということを裁判所は按配だけ決めるわけです。で、取れるか取れないかということは、払わなかった場合、差し押さえて強制執行する手段が相手の資産にあるかどうかという問題ですが、そんなことはもうこっちの知ったことじゃないんだから、あんたたちで勝手にやんなさいと……。ただ、裁判所が一つの、まあ、理由としては、そういうふうにまた新たな事件がおきてくると言うのも、できれば避けたいという気持ちもあったし、ま、それはそれでん、何もこちらは事件を起こすことが希望じゃないから、一挙に解決するならそれでいいじゃないかという気持ちも、ぼくにはあったから、和解のほうを推したんだけども……。
田才 そうすると、この金額は必ずしも罪の大小の認識に……
山田 まったく関係ない……。 K 市としては市議会で、おそらく、なぜこんな割合なんだと……。というのは K 市の代理人としては畠山と対等以上のものは払いたくないという主張をしてたんですよ。一審の判決でもって、三者のナかで言えば畠山さんの責任が一番重いというようなことをチラッと書いてあるわけですね、判決文のどこかに――だけど、それは K 市にしてみれば金科玉条のごときかちのあるものでしてね。そうだとすればなんで畠山以上のものを払うんだと……。だから五〇パーセント、畠山と対等以上のものは払わないと言うことでもって裁判長にたいして突っぱねた。だけれども、先ほど申し上げたように、じゃあ、突っぱねて結局和解が成立しなかったときにどうなるかっていうと、和解が成立しなかった場合、とりあえず K 市自身が百パーセント払わなくちゃならないわけですね。それから畠山を相手に訴訟を起こし、倒産間際の H 興行に訴訟を起こして取りもどせるかということになると、実質一億何千万か払ったものは回収不可能にちかいんじゃないかということで市議会を通ったんだと思うんですね、僕は……。
田才 そういうことですか。そうすると、この問題にかんしては結局すべて、またあいまいなまま終わってしまったということですね。
山田 だから警鐘は鳴らしたけれども、鳴らした警鐘をどういう風に関係者が受け取って、自分たちが自覚すべきかという指針は何にも示されなかったと言うこと
田才 ですね。――わかりました。
山田 僕は、もう、答えはここに――別にご本人を前においてアレする気持ちはありませんけども――田才さんがおっしゃっているこの考え方というのが――事実のことじゃなしにね……。事実のこともそうだけども――今後の問題の把握の仕方というのは、大賛成と言うか、この通りだとおもうな。僕はね、もう、高裁で判決もらうんなら、申し訳ないけどもこれ(「舞台監督第十一号掲載の『ある舞台事故の場合』。当ホームページにも掲載の同名の論文)を十分に活用させてもらおうと思ってたんだ。――専門家だってこう言っているよって――これは E さん(畠山みどり氏の訴訟代理人)がお出しになったんだけども、証拠として――それから僕はアンケート(同誌第十二号掲載)も証拠として出しましたけどもね……、だから、これはこういう見方だと言うことで示せば、まったく理解能力が薄いとしても、裁判官をやっている人はバカじゃないからね、頭はいい人ばっかりなんだろうから、ある程度はわかってくれるんじゃないかという期待も合ったんだけども……
田才 そうですか。そういうことだと、(第二審では)なんらはっきりした判断は出してもらえなかったと……
山田 公の判断は一審以外のものはゼロ、何にもない。
田才 そういうことになるわけですね。
山田 それと、どこかでおっしゃってた、いわゆる施設側と芸術的な意味の監督者の分担というか……、だから、いわゆる会館の行政というのが自分の市のグレードをあげるために、うちにもこんなりっぱなかいかんがありますよってなことで、やたらめったら地方自治体が――それ自体悪いことじゃないで好けどもね――市民会館を作って、こんな田舎にこんな立派な市民会館があるのかって、全国にいろんなものがありますよね。それにたいして、ひとつの確固とした、はっきりした思想をもたずにつくってしまって、そこへ K 市の場合だったら、多少の経験のある石井という者を引っ張ってきてそれに当て、あと全部素人でやっていながら、ぜんぶ、ボタンの操作するものから何からにたいして基本的な教育というものはまったくのゼロだったというのが実情でしょうね。
田才 管理職といいますか、課長だか係長だか、そういう人たちはたいてい事務職から移動してきた人なんでしょう。しかも、それがニ三年もするとまた移動するわけですね。そうするとこれはわれわれとしても困るんですよ。
山田 そうですね。やっぱり、これ、専門職がそこにいなきゃおかしいですよね。
田才 ただ、そういう人たちにしても、劇場が好きだから、劇場でやる――ちょっと口幅ったいですけども――芸術に興味があるからそれをやっている人たちでは必ずしもないわけですね。どちらかというとテレビのお笑い番組のほうが好きだと言う人が劇場の管理をしているわけだから、あまり関心がないわけですよ。だからわれわれがそういう劇場に言って一番困るのは規則づくめ、何が何でも規則どおりという姿勢なんですよ。つまり、こっちの事情を斟酌して柔軟に対応してくれると言う姿勢にかける場合がしばしばあります。もちろん、非常に理解のある会館もあるのは確かですが……。
山田 そういう意味で――僕は外国のことは知らないけど――やっぱり民度が低いというか、何のための会館だ、そこで芸術的な催し物が行われるということであれば、そのためには、そういった芝居なら芝居の世界のずーっとえい英として築いてきた世界、いろんな、まあ、仕来りと言うよりは、もっといろんな、劇場がずっとやってきたものあるんだから、自分でそれを受け入れる気持ちがなかったら、そんな芝居をやるような小屋を作る意味がないんじゃないかということですよね。
田才 ええ、本とはそのはずですがね。われわれとしても、その辺のところをかいかんがわのひとたちにわかってもらいたいと期待しているところなのですよ。
今日は、どうも、お忙しいところ興味深いお話、ありがとうございました。              (文責・田才益夫)