愛猫賛歌 ―― チビからの手紙

田才益夫
  

 チャコお姉ちゃん! 
 ボクとうとう天国に来ちゃったよ。お父さんが一生懸命に看病してくれたけどやっぱりだめだった。うちのみんなは、お父さんのこと何やかや言うけど、ボクにはとってもやさしかったよ。ときどき、ボクがお父さんの膝の上に乗ったりすると、お父さんは「おまえが大好きなんだぞー」というふうに、ボクをぎゅっと抱きしめることがあった。ボクが苦しくて「ニャッ」というと、それがおもしろいといって、またぎゅっと抱きしめるんだ。それだけはボク、ちょっといやだったな。 
 お姉ちゃんがボクを拾ってきてくれて、そして最初の頃、ちっちゃなボクがご飯を食べるとすぐに下痢をしてあっちこっち汚すもんだから、お父さんはずいぶん苦労してたよ。とうとう、病院に連れて行ってくれて、回虫のせいだということがわかって、薬を飲んでやっと直ったんだ。 
 でも、どうしてもわからないのは、ほかの猫たちは応接間に入れたのに、どうしてボクだけだめだったのかなあ。それだけが不思議だった。それにボクがどんなに悪いことをしても、「こらっ、チビッ」と言いながら、ボクをかばってくれていたお父さんでさえそれだけは許してくれなかった。 
 だけど最後にお姉ちゃんにお礼を言うね。 
 ボクを拾ってくれて本当にありがとう。ボクは親から受け継いだ病気のせいで早く死ななきゃならなかったけど、でも、ボク、ほんとは、もう少し生きたかったな。だって、とてもいい家庭だったんだもの。 
 お父さんはみんなの前では、とくに、お母さんの前では不機嫌そうな顔をしてるみたいだったけど、ほんとはさびしかったんだね。誰かにあふれるような愛情を注ぎたかったんだよ。ボク、見ててわかったもの、お父さんは愛情の対象が欲しかったんだよ。だから、その愛情をみんなボクが引き受けなきゃならなかったんだ。(ほんというと、ボクにはちょっと重荷だったけどな) 
 お兄ちゃんだって、ほんとはボクにやさしくしたかったんだよ。だけど猫の毛アレルギーのくしゃみが出るものだから、あんまりやさしくしてくれなかったみたいに見えたけど、お兄ちゃんもお父さんと同じさ、その原因がなければ、きっとボクにやさしくしてくれたと思う。 
 ボクが五歳までも生きられたのは、うちのみんなのおかげだよ。そうでなければもうとっくに死んでいるはずだもの。たとえ拾ってくれた家があったとしても、あんなに下痢ばっかりしていたんじゃ、きっと、また捨てられていたに違いない。 
 だからお姉ちゃんにんに拾われて、ボク、本当に運がよかったんだ。お父さんみたいなすごくやさしいお父さんがいるうちに連れてきてくれたんだからね。 
 ああ、ずいぶん長い手紙になっちゃった。お姉ちゃんは勉強があるんでしょう。がんばってアメリカの大学院に入って、日本に帰ったらお母さんの頼りになるようになってね。 
 じゃあ、さようなら。 
 ときどき、ボクのこと思い出してね。 
 チャコお姉ちゃんへ 
                   チビことコービーより 
          *   *   *
 知矢子へ。
 お父さんの大好きだったチビが死んでしまった。
 日本時間の十三日それでいて、、朝八時に火葬に付された。死んだのは十一日午後七時十五分。ちょうど七時のニュースをやっているときだったかな、雨が降っているから東伏見の駅まで迎えに来てくれと、お母さんから電話がかかってきた。
 チビはもうそのとき足では立てなくなっていたのでお風呂のタイルの上にバスタオルを二三枚敷いて、その上に寝かせていた。そしたら寝がえりをうって、ときどき「ニャッ」と声を出していた。やっぱり苦しかったんだろうね。身をのけぞらすようにして、タオルの端に噛み付いていたけど、もうそんなに力がなかったんだ。噛んでもそのままくわえていることもできずにすぐに放していた。
 お母さんから電話がかかってきたとき、ダイニングのいつものお父さんの席からから、「チビ、お母さんを迎えに行ってくるから、それまで生きていろよ」って声をかけたら、偶然だったんだろうけど「うん、わかった」というように「ニャッ」とないた。だって、チビは生まれつき耳が聞こえなかったんだから、その時にかぎって、お父さんの声が聞こえるはずないよね。
 でも、ちびは、本当に、お母さんが帰ってくるまでは生きていた。そしてお母さんもチビに声をかけて、着物を着替えに上に行った。パソコンをつけたままだったから、お父さんも上にあがった。お母さんが先におりていった。そのとき「チビが息をしていないよ」とお母さんの声がした。
 お父さんも急いで降りていって、チビに触るともう息をしていなかった。さっきおなかのところを触ったときはまだ息をしていたから、お父さんたちが二階に行ったその、ほんのちょっとのあいだに、ひとりで息をひきとったんだ。
 その日はほとんどずっとチビといたのに肝心の死に目にはいてやれなかった。ひとりぼっちで死なせてしまった。そんな悲しさと寂しさで、メールを書く気力もおきなかった。
 出棺のときにはお父さんしかいなかった。ほんとうは、ノコのとなりの梅の木の下に埋めてやりたかったけど、お母さんがだめだと言ったので仕方なかった。死んでも、まだ、そこにいるんだというのと、もう、お寺で火葬にされて、灰になってしまったと思うのとでは、やっぱりちがうような気がする。
 お母さんは勤め先の会社の旅行で、今晩は帰らないし、お兄ちゃんは寝たし、ひとりでお酒でも飲もうと思っている。そんなとき、チビはいつもお父さんの椅子のそばにすわって、黙ってお父さんのほうを見上げていた。そして、ときどき「ボクはここにいるんだよ」とでもいうようにお父さんのセーターのそでに爪をかけて「ニャッ」とないていた。  お父さん、思うんだけど、チビがこんななき方をするのは、生まれたときから耳が悪くて、本当の猫の「ニャーッ」と声を長くのばしてなくなき方を聞いたことがないから、知らなかったのだろうね。
 チャペックの童話のなかに、どうしても「わん」と吠えられない子犬の話があった。その子犬はほかに犬など一匹もいない田舎の村のパン屋さんのおじいさんに拾われてきた。だから犬の吠える声を聞いたことがなかったんだ。それで、おじいさんの使用人のパンを町まで運ぶ荷馬車の御者のおじさんに吠え方を教わって、やっと吠えられるようになったってわけ。
 ああ、でも、いつまでもくよくよしていても仕様がない。また、明日から(もう、今日だけど、いま、朝の四時だ)気分を変えて……。でも、いまは、これからチビを偲びながら、少し、お酒を飲もうと思っているところだから、今日まではだめだな。

                       父より

    *   *   *
 コビ君が死んでしまって、とても悲しいです。突然だったからびっくりした。お母さんから連絡が来たときはとても悲しくて、泣けてきた。ノコちゃんが死んだときは近くにいたこともあって、突然ではなかったから、涙はあまり出なかったんだけど、ノコちゃんがいなくなって、何年も何年もたってだんだん、ノコがいない寂しさが強くなってきたから、死んでしまうという事はこういう事だと、ノコちゃんの時にわかった。だから言うけど、コビ君がいなくなって、お父さんは今とても寂しくて、悲しいのだと思う。  みんなに愛された猫でしたね。日本に帰っても、そのコビ君にもう会えないと思うととても悲しい。
 じゃあ、ホームページ見てみるね。

                     知矢子
「コビ君からの手紙」読んだよ。読んでるうちに本当にコビ君が書いているみたいな気がしてきて、なんだかまた泣けてきた。最近コビ君のことで泣いてばかりいるので、もうコビ君のことは思い出さないようにしようと思う。でもあのページはできるだけあのままにしておいてね。ときどき見たいから。
 お父さんも元気出して、他のにゃんこ、かわいがってあげてください。カントもマラドーナもうちの子ですからね。
 ではまた。ありがとう。 
                      知矢子
    *   *   *
 付記・チビことコービーの死因は「猫エイズ」だった。死の一週間前に注射を打ってもらいに行ったときも、獣医はそのことを何も言ってくれなかった。その後、インターネットの検索で調べたら、そこに書かれた通りの経過――最初ひどい下痢をする、それがおさまると五年間、正常な猫となんら変わりなく元気に生きるが、両顎の下にリンパ瘤をもつ。そして五年後、このリンパ瘤のなかの菌が活動を始め、外面的な症状は口内炎という形で現われ・・・・・・数ヵ月後に死ぬ――を忠実にたどりながら死んでいった。


掲載書・日本ペンクラブ編 『わたし猫語がわかるのよ』光文社刊(2004)
(同書では、田才益夫 『コービーからの手紙』 として掲載)