[―2 D?JNY UM?NI
芸術の歴史
芸術史は、まず、第一に、歴史学である。この観点から見て、いかなる美学も、いかなる美的見解も、これ(芸術の歴史)に干渉すること(口出し)はできない。そのことは、最高かつ最も信頼に足る歴史となるための純粋に学術的要求である。
だが、それは、同時に芸術の歴史でもあるから、美学と共通するテーマp?edm?tをも持っている。ゆえに、その面から見れば、まさに、ここ(本論文)で展開される問題の範囲とも一致する。
芸術の歴史は、芸術家の作品を歴史的関連性historickou souvislostの中に位置づける。そして、大なり小なり対象要因、つまり芸術作品に重点を置いて検討する。
芸術作品は、碑銘、伝聞、図像学、その他のような歴史的規範に即して、できる限り正確に決定されるべき事実として、単純に歴史的進化historickoeho procesuの記念碑として受け入れられ(祀り上げられ)かねない可能性がある。
ここには、もちろん、美学が要求すべきものはない。しかし芸術作品はさらに、芸術作品の、まさに芸術的側面から、芸術作品として、美の歴史的対象として、感情(感性)の唯一の対象として、美の感情の歴史的客観化として受け入れられることもできる。そして、ここで芸術の歴史は主観的評価subjektivni hodnoceniを育むか、客観的美的方法を設立(確立)nastoupitiするかしなければならない。
芸術の歴史は、今や、新しい、もう一つの方向を模索しているかのように思われる。
「歴史研究から出発して」と、ストルジゴウスキはむしろ他人よりは、自分を弁護して告白する。「しかして、我々は、純粋に補助的価値を認識せずに、事実にかんする源泉と、目的を伴った手段とを変更する、……それでも、芸術作品そのものを間近に見るというところへは到達しなかった。そして、そこから芸術の現実的活動範囲をがっちりと区画する。それは我々にとって、何よりも、真っ先に秤にかけられる芸術活動である。」208…67枚
ここでは、すでに、芸術の現代(近代)史moderni historieは、すでに多くの訂正を受ける。それどこらか、造形芸術の美学の大きな作品がそのなかに委ねられる。これによってヴェルフリンWolfflinの『いかなる美術史研究論文でも美学的部分を包含すべき』との要求を満たす。209
このような意味で、芸術作品は芸術史の(研究)対象となる。
ヨハンネル・アイヒネルは以下のように語っている。非批評的意見によれば、芸術作品は我々の前に、単に、提示されるだけであると断ずる。その結果、我々が直ちに満たされ、快い性質としての充実した真のイメージを得るためには、ただ、目を開けるだけでいいという幻想に服従することになる。
しかし、歴史家にとって、芸術は直接、提示されるものではない。最も重要なのは、芸術作品は細部(ディテイル、特殊なポイント)の集合(寄せ集め)ではなく(特殊性の)体系systemだということである。肝心なのは、芸術的絵画作品上に見られる具体的事実(ありのままの姿v?cneho faktu)(具体的対象、作品)の正しい概念であり、さらに芸術的意図の観察と追跡、注目の方向付けzmi?eniと誘導vedeniである。
だが、もっとも重要なのは、芸術作品は概要(目録)souhrn jednotlivostiではなく、体系systemだという事実である。作品の綜合化された構造の中では、その体系(system)が、本来の、画面上(に現れた)の芸術性である。だから、歴史の課題は、この構造、内面的分析?len?niと統一jedonoty、または、アイヒネルによれば、オリジナルな歴史画(原画)の製作意図planの発見であるという。
思考(製作意図)の定着my?lenkove fixaceという手段によってはじめてと――アイヒネルは続ける。――歴史的作品vytvorは理解可能なとなり、それ(理解)は作品v?ci体験と作品の変化とのあいだの循環(駆け巡る=繰り返す)proud?niのうちに現れてくる。だから、それは同時に、保存されていた作品が我々の中に呼び起こす直接の印象からも生まれてくるpozveda se 。
ゆえに、我々は歴史画のことを、その性質は、当初はきわめて曖昧であるから、検証によってこそ、はじめて、明確化されるものだと考える。研究者は主観的経験から客観的判定ur?eniへ、歴史画の客観的実在性objektivni faktuへの展開(着地)を望む。
(鑑賞者が)直接的かつ明白に体験する受容体験から、一旦は、切り離された絵画obrazへの関係づけをするものは、そして、それを、そうするものは非視覚的な実例によって、また、判断という行為によってである。――
しかし、いったい、どこで対象objektは決められるur?enべきなのか、それは、事実と考えられているところである。この事実というのは、ここでは、心理的な形であり、芸術家の体験である。
しかしながら、芸術家の体験は複雑であり、創作意図koncepce、決定、実行provad?ni、自由行動、知的計算高さrozumova vypo?itavostもある、等々。このことからも分かるように、芸術の歴史には自分独自の対象はない。
芸術史の専門家は、さも芸術が自分の研究対象であるかのように言うが、歴史的(大)芸術家の意識の中には、端的に言って、そのようなもの(芸術)は存在しない。
歴史家はあの生きた複合体?itehe komplexuの個々の構成要素slo?ekにしがみついていなければならない。そして、抽象化abstrak?iとは、現実の生命体(組織)から抽出するvyjimoutことである。だから自分なりの綜合化を企て、そうすることによって、最終目的としての、独自(自分)の一体化した(統一的)観察対象を獲得するのである。それ(観察対象)はこの抽象、総合、芸術作品の創造(形成)formovani、視覚的画像(obrazu)という概念によって決定される。その関心は(z?etel)は芸術家の体験の視覚的要因に関連する。
これらの構成要素tyto slo?kyは(歴史家の恣意にではなく)自分を同一化させ、視覚的像の統一を目指す。(構成要素の)統一化への傾向のために、我々は具体的materialni芸術作品の中に、素晴らしい資料dokumentを持っている。
芸術家が体験した実際の経過の中でも、ほんの希に、また、ほんの近似的にしか実現されない完璧さを、いかにして実現させたかを特定することができる。こうして、歴史画は評価の課題として与えられたばかりでなく、芸術・歴史思想の創造とさえなったのである。
芸術の歴史的創造は、とアイヒネルは締めくくる。我々の直接的体験には、まったく接近不能なものである。我々に許されるのは、ただ、頭の中でそれらを定着せ、判定に際して作品の価値を決定するだけである。その際、自分の判断によって、視覚的体験の無限の複雑さを汲み尽せるなどと期待してはいけない。だんだんと切迫し、だんだんと狭まってくる定義ur?enichの中でのみ、歴史画が意味するとこのものを捉えることができる。その完全な意味(定義)は、どんな場合でも、決して手の届かない目標である。
芸術・歴史的方法は何倍も拡散され、混ぜ合わされた芸術家の視覚的体験を何度も改定revidujeし、それらを総合的な視覚影像に関係づけ、各々の行動は、協力して、絵画の評価(決定)を芸術・歴史的対象の閉鎖性と純粋性に関連づけるのである。
さて、再び、ここに方法metodaが指向する永遠の目標がある。深く、そして、必然的に思考を観照ziranimとを結びつける。認識機能の自発性spontaneitu及び感受性receptivituを(観照に)結びつける。
たとえ、歴史画が何か提示されたものと評価されるべきでないとしても、それらは決して、我々の思考の遊びの製品(作品)ではない。それら(の歴史画)は客観的な何物かであり、すべての積極的、方法論的干渉metodicke zakrokyも、それらの物v?ciの客観的状態がうまく保存されることに役立つだけである。
したがって、芸術・歴史的対象(作品)が保存された作品v?ciとして、また、直接的印象によって提示されていないとしても、それでも、その作品の概念pojemやその評価ur?eniは、これらの諸要件t?mi faktyにたいして宿題ukolとして課される。したがって、これは我々の芸術・歴史の批評的対象の、批評的概念である。210
しかし、ここにもまた、我々の美的対象の概念が認められるが、ただし、それは非歴史的であり、特殊な歴史的視点には依存せず、特殊な芸術行為の上に築かれている。だから、ここで、アイヒネルは美的対象を歴史的価値によって補強しようと(指示しようと)しているかに見える。それは明らかに、芸術の歴史の領域内でそれを見つけようとしたからであろう。
それにもかかわらず、これは不正である。なぜなら、芸術の完全に非歴史的批評対象は性質的に同じだからである。アイヒネルは別にも、美的対象をとくに、それゆえに、歴史的人物である芸術家の体験から作り上げることによって歴史化している。
しかし実際には、素材materialemになるのは我々の体験であり、我々の、まったく非歴史的なデータである。芸術家の「体験」、より正確には、芸術家の創造行為は、むしろ思想の終止符に過ぎないのかもしれない。つまり、それは徐々に獲得されていく美的統一と独自性の表象である。
“永遠に”持続する物事の現実の状態が求められるが、決して歴史的事件ではない。それは起こることではなく、美的実在として存在し続けるもののことである。
アイヒネルはあらゆる事実にのっとって、芸術の歴史は作品のみに依拠しているのではなく、原典を探し、証拠を探し、歴史的芸術家と関係のある、あらゆる種類の証言を得ようとして、芸術作品(の価値)を決定し、説明するべき彼の作品や彼の画期的な歴史的瞬間をも訪ねるのである。
アイヒネルは別の著作slovyの中で、芸術史家の美(学)的著作と歴史(学)的著作とを区別していない。作品の美的分析、様式の批評、形式の分析(formalni rozbor)その他は、歴史家が、作品の歴史的評価、ある芸術家の、ないしは一定の発展段階について、何か評注を書き加えるようなときに役立つ。
逆に、作品の歴史的評価historike ur?eni、その成立の条件、その作者の個性、生活環境、その他、は作品の美的理解に役立つ。だが、美的方法が歴史的方法に寄与するならするで、そうさせておこう。それとも逆に、美的方法が歴史的方法になじまないのなら、それに干渉しないままにしておこう。
美的方法は徹底して、自らを芸術作品か、または、芸術作品の比較に限定する。したがって、芸術作品の中の美的に実在するもの、それ自体から理解可能なものをしかっかり掴みながら、美的事象fakt?の境界を踏み越えなかった。
それに対して、歴史的(方法)手法は全方向に美的領域faktを踏み越え、超美的資料dokument?その他、から掘り出す。その両方の手法は分離不能であり、常に、ある一定の目的のために協力の能力がある。
これらの前提条件以上に重要なのは、芸術・歴史的、ないしは、美的対象の方法論的性格metodicke povahy um?lecko-historickeho objektuについてのアイヒネルによる定義stanoveniである。
美的対象は提示されていない。そして芸術の歴史家が芸術作品をまったく芸術的として、その他の人工の作品の中でもとくに美的だと考えるかぎり、とくに客観的p?edm?tne metodyはそれらの作品を、特別の加工の対象にしなければならない。
この作業が芸術史家のところで実際に起こったとしたら、その証拠はすべての芸術史家の著作の各ページにある。その最も単純な性格付けを、すでに、ここに見ることができる。
しかし、はるかに最高に明瞭なのはまさしく現代歴史家の場合である。そして、たとえば、ヴィックホッフの墓碑銘の記述か、またはリーグルによるメディチ家の礼拝堂、またはコンスタンチンのアーチの特徴づけを挙げるだけで十分だろう。211 ラファエルについてのヴェルフリンの解説、またはリーグルの様式批評へのシュマルソウによる訂正、212 この仕事にたいする学術的執着の豊かな実例として挙げることができる。
しかし、このような作業がどのように実行されるかを左右するのは、方法(やり方)である。その方法の性格(特質)は、もっとも完璧に(その方法を)適用すること、または、対象への、また、芸術作品への、そして、作品の美的創造の姿勢esteticke skutokove povaze dilaへ正確な狙いをつけることであり――批評的客観化、または、客観的表示(展示)の方法によって(それを実行するの)である。
この意味において美的方法esteticke metodyの欠如した芸術史など、到底v?bec、あり得ないわけで、いずれにもせよ、ただ、この方法のみが、スポットライトを浴びることになり、(方法の)代表として、歴史的関心に応え、この方法esteticke metodyの配下に置く。それは、芸術の歴史ないしは歴史家の仕事v?ciである。どんな役割roleかというと、それは歴史記録の作業である。――その仕事は、その存在と性格において、かけがいもなく重要である。
歴史的側面が最も強調されるところでも、美的仕事の必要性が別のルートを経て要求される。たとえば、ティーツェの場合である。
観察者たちには直接、近寄ることのできない芸術作品の内容obsahemhaであるところの対象p?edm?t は、さらにもっと高い次元での形式主義的性質o formalnich vlastnostechに相当する。我々は日常の視覚経験から、事物の極めてあいまいな概念に慣れ、具体的、ないしは、抽象的な諸々の観念の中心に突っ立っている平凡な観念に満足することが常である。
このような曖昧な視覚を芸術作品に移行させてみると、しばしば対象は知覚できるが、形をつかめないneuchopujeme formu、形の複合体を溶け合った、ほとんど形のない観念の倉庫にしまい込み、そして、我々は芸術作品を見分けたrozpoznavameのだから、我々は芸術作品を知っているのだと信じる。
「それにより、作品の美的に効果的形式が欠落してしまい、その結果、散漫な視覚によってとらえられた芸術作品の部分は、その芸術作品にとって本質的なものではなく、したがって、芸術家が意図した手段prost?edkyを認識するためには、直観的把握の上次元での分析作業が必要であるという、独断(断定)dogmaが必要となる。」213
この作業は、美学的作業以外の何ものでもない。それにもかかわらず、どんな歴史もそれ自体の内部に歴史主義、ないしは歴史的懐疑主義的要素を秘めている。
ああらゆる人間的なものは歴史的であり、時代に条件づけられており、自分の時代にのみ有効である。
「(芸術作品に関して)時間を超えて確かめられるのは」とマックス・ドヴォジャークは言う。「非芸術的なもの、素材、群衆masa、技法technikaだけである。しかし、本来の芸術作品faktの理解uchopeniは、体験する前から(超体験的に)(アプリオリに)客観的なのではなく、反対に、まったく主観的、または、せいぜいいいところ、まったく、恣意のまま(お気のままに)といったところ……。
芸術的批評の対象faktは、歴史的証拠の連鎖の結果がそれを意味(証明)するとき、そして、その芸術作品と、様式的にも近親的な、時間的、場所的、かつ、それぞれに近親的遺産との比較から引き出されたときにのみ、証明能力を持つ。」
したがって、主観的概念か、歴史的概念かの二者択一の選択肢のどちらかが可能である。芸術の歴史は、したがって「重要なのは、主観的観念(見解)を学問的基準に照合させることではなく、主観的、時間的に条件づけられた効果を、その歴史的原因の中に導入するuvest naことである。そして、それによって、それを歴史認識に変えるのである。」214
歴史家が出発点とする最初の効果は、作品が自分に与える効果である。215 しかし、その効果は作品にたいして美的なのであって、決して歴史的事実いでもなければ、その表現が美的なのにでもなく、また、それは歴史的判断でもない。
さらに、作品に表れた、この効果が適切(マッチ)であるすべてのものは、非歴史的であり、「作品それ自身の芸術的記録vlastni umlecke faktum(事実、ありのままの姿、状態)」であり、不変の、特に、形式的動機momenntechの中に表現された作品の芸術的性格そのものである。
「純粋に形式的な分析に際しては、芸術家や鑑賞者の中で、歴史的に条件づけられたものを排除しようとする客観化objektivcaeへの意思がそこに存在していなければならない。216
しかし、ここで心理学的相対主義に遭遇する。作品の純粋に美的効果(効き目)は確かに主観的で個々に多様であるが、・・・それによって、作品の美的表現esteticka interpretaceもまた、この効果をいいことに〔の上に胡坐をかき――(安住し)ながら〕spo?ivajic、主観的な条件づけを受け容れている(。
ディルタイによれば、――コンラート・ティーツェは、解釈表現interpretaceの目的は、芸術家の意図を芸術家自身以上に把握することだ、と書いているとのこと。
「われわれは自分の内面的体験をもとに捉えることのできる芸術作品の中で、もっとも普遍的な創作意図と出会えると信じている。つまり、その作品が我々に及ぼす美的効果への配慮なしに、その作品における形式的造形の一定の法則を客観的に認識することができるからである。(とはいえ)客観的造形と美的効果とは密接に結びついているから、そこにはある一定の扱い難さがあるのも(困難も横たわっているのも)確かである。
我々の美的体験から、我々のはっきりとした認識を余すところなく削除するなどということは不可能である。その上、現実に、芸術史家もまた、美的効果が完全に機能麻痺に陥っている(失墜している)、あの不明の闇の中を手探りしながら探し回っているではないか。
つまり、そのわけは、対象(作品)の中に見出される歴史的問題が、常に完全にその(作品の)意図を隠さずに、上記の対象の、あらゆる可能的に有りうる諸々の問題性を歴史的解釈(表現)interpretaciによって確かめなかったとはいえ、むしろ、彼らだけが選ばれたのである。その対象へ向けた美的行動chovaniが我々を、彼らを知覚する方向へ導く。言いかえれば、まったく瞬間のうちに、彼らが(歴史的問題)関心の最前面に押しだされてくる。
それは主観主義的解釈表現interpretaceの残滓と言われている(だそうである)pry。217
――いずれにもせよ、たとえ我々の解釈表現が不完全、一面的(偏っている)だとしても、それでも、まだ、主観主義にまでは至っていない。
解釈表現、分析、批評、等々によって、美の主観的叙述subjektivni prediikat や評価または美的性質esteti?nost、そのものを対象に押し付けるのではなく、逆に、美の主観的体験にかんして、その客観的側面を証明しよう。
もちろん「芸術・歴史的研究の絶対的主観性」、同じく、絶対的・美的客観化全体は、「達成不能であり、永遠の目的、理想idealemである。つまり、それは現前で溶解し、そこから自分の力を獲得しようとする苦労が、果てることなく、新たに始まる。」218
歴史的作業praceと美的作業との相互関係はどういったものなのだろう?
1.
歴史家たちは原則として、両者を厳格に区別する。
『美学は体系的な修練(訓練、規律、しつけ)disciplinaであるが、芸術史はそうなるべきではない』219
芸術の歴史は特殊(別個)なものを探索(探求)するが、美学は普遍性に重心を置く。
芸術の歴史は芸術作品の孤立性、独自的(オリジナルな)特殊性、そして時間的ないしは場所的な条件を観察するのに対して、美学は、その発生と効果u?inkuにおいて共通するものすべて、つまり、芸術作品の普遍的に人間的要因は何であるかを研究する。
美学は法則zakon?の学問であり、歴史は事実の学門である。220 ――
では、どんな美学か?
体系的美学systematicka estetikaというものがあるが、しかし、現実(具体)的法則bez skte?nych zakon?を欠いている。心理学的美学、これには特別(それ独自)の完結した(その固有の)体系(システム)はない。
芸術史と美学との間に普遍的関係を設定することは不可能である。実際の関係は、もちろん、なんらかの連帯solidaritaもなく、概ね、冷淡である。
2.
他の人たちは、美学estetika(または、一般芸術学 “obecna v?da o um?ni“ )が芸術史にたいして、体系的、または、概念的基礎を提供すべきであると要求している。
「事実(事件)fakt?という歴史的素材material は自らを規定する概念として、概念体系に由来する概念(概念規定)を前提とする。」221
概念の体系が無ければ「芸術史historie um?niは芸術作品o um?leckych faktechを(研究対象と見なす)扱うことが、まったく、できなくなるという危険に陥ってしまう。」222 ――
そうなると歴史家は何らかの体系的、かつ、美の学問(美学)から自分の(使用する)概念を選出すべしということになるのだろうか? 芸術の歴史はこのような体系を、これまで、期待もしてこなかったし、これからも期待はできないだろう。
新しい内容が発見されるや否や、その度に(それを定義する)概念が必要になってくる。なぜなら、それ(新しい内容)は新発見のものだから、絶え間なく(新たな)概念創造(規定)の必要性が求められるのだ。
その結果、おそらくは当然、術語terminologieの混沌が起こるが、それは決して、歴史学の無政府状態(無秩序、混沌)anarchieではない。なぜなら、その案内役は体系(システム)ではなく、方法(論)metodaだからである。美的方法esteticka metodaは芸術の美的資質esteticke pvaze um?niに関心を向けながら、その資質に支配され、最高の緊密さでそそれと結合する。したがって、芸術史は美学の基本的概念や、普遍的概念を援用する必要はなく、むしろ芸術史は究極的な保証として、自分自身の概念の源泉でもある美学の方法を、自分自身の中に発見する(すればいい)のである。
これによって、“美学”と芸術史との関係が明確となる。芸術の歴史は、美学的方法を使用するかぎりにおいて、それ自体が美の学問である。歴史的方法と美(学)的方法との間には協力関係がある。芸術の歴史は美的理解なしには在りえないし、芸術の発達とは芸術の質的変化のことである。したがって、発達の認識は、個々の様式ないしは作品の美的質の知識を前提とする。
第二に、芸術発展の段階は芸術作品の分析も含んでいる。歴史は同一性、変化、新しい要因momentyその他を発見する。――それによって、すでに、芸術作品の内面的分裂に到る。
さらに、歴史historieは作品の作者、その出生と、環境を認識する。すべては創造の姿勢との関係なしにはありえない。芸術家の生活と個性は作品と無縁ではないと、我々は信じている。それらは、直接的な受容が不十分nesta?iか、または調節kontrolyが必要とされるところでは、少なくとも、間接的ながら(解決の)鍵となる。芸術の歴史と美学との間には、したがって、常に協力の可能性がある。だが、同時に、美的立場と歴史的立場との間には葛藤もある。
芸術史は芸術作品を発展という文脈souvislostの中で捉えようとする。「芸術作品それ自体は決して歴史研究の対象ではないが、その作品にとって然るべき発展段階のある場所では歴史研究の対象になりうる。」223
それに対して、芸術作品それ自体は美的興味の対象になりうる。ここでは常に、歴史と美学は、常に、分離方向を指向している。芸術史の客観的尺度は、作品の歴史的意義である。つまり、その他の作品にたいする、その(作品の)影響力、または、その歴史的同時代者や後継者の大なり小なり広い圏内の人たちに与える広範な効果のことである。224
現代の芸術史にとっては、それゆえ、たとえば、Malay諸島の芸術は、メロヴィンガ期の西欧芸術と比しても、まことに、わずかな重要性しかない。それは、我々がそれに低い評価しか与えようとしない――それを評価するためのいかなる評価基準も持っていな――からではなく、我々の芸術発展の視点からして、かなり低い価値しかないからである。225
それに反して、純粋な美的関心にとっては、マレーの芸術も他のいかなる国の芸術も、同様に重要なのであるが、ただ、その前提として求められるのは、私にたいする影響u?inek
である。
現象(事実)fakt?mにたいする美学および歴史学の注目度の違いは、まったく特徴的である。芸術史の問題は、芸術作品の発展的関係性の問題である。では、何との関係性か?
ここには思想と思想傾向との全ての範囲(ジャンル)である。
1.
まず、何よりも、芸術作品は因果的相互関係の中にある。どんな新しい作品も先行の作品から何かを受け取り、後続の作品に何らかの影響を与える。しかし、そこには同一性stejnostechばかりでなく、変化についての関連性も見られる。新しい契機momentは、先行作品の何らかの潜在的契機の十分発達したものか、何かに対する反発、または、過去の作品の中で無効neu?nnychになったものの無視、さらには、また、いっそう古い時代への逆戻りである。226
したがって、どんな芸術作品も芸術から出現し、そして、生まれ、芸術創造の、それ自体の関連性(脈絡)によって決定ur?enoづけられる。(だから)作品から作品へ、様式から様式への絶え間ない継続kontinuitaが存在する。その結果、どんな芸術活動(分野)faktにも、ことなる芸術活動(分野)のなかから、然るべき先例を探しだそうとする歴史を持っている。
この継続は、芸術の発展は芸術活動それ自体の中に、自分の(活動の)動機(の動機を持つという思想を押し付けてくる。そこから『芸術的意志の発展』vyvoj um?lecke v?leという術語が引き出される。227 同時に、それによって発展の統一、芸術全体の統一がもたらされる。まったく新しい芸術などというものは、どこにもない。先行の芸術に一切、依存しない芸術もない。すべての芸術は同一起源であり、手続き(技法、扱い方)もまた同一である。228
この立場は、ウイーン学派において最もよく説明が尽くされている。
2.
いかなる芸術作品も、作品を現実化した芸術家と因果関係で結ばれている。作品は芸術家の個人的生活の歴史的関連性historicke souvislostiに属しており、芸術家の性格、体験、運命によって決定される。芸術作品のあらゆる部分の由来する源泉zdrojは、(芸術家の)内面的経験vnitrni zku?enostである。これはディルタイの立場である。229
しかし、同時に、あらゆる伝記作法の基本である。芸術は芸術家に発し、かつ、生まれる。芸術作品の発生に立ち会い、その現実の関係性を受け容れるということは、芸術家の人生経験における作品の位置を決定すること、そしてまた、成長の心理的核心、または、それが表現(内容)となるところの内面的事件を発見することを意味する。
この視点に立てば、それぞれの芸術作品は個々の持続の芸術家の生涯の一齣にしかすぎなくなってしまう。しかし、あらゆる他の作品にたいして、何か絶対的に新しいもの、オリジナルで、影響や外面的一致に害されないものがある。いかなる個性も削減を許さない。「天才の印znamkaは、先行性iniciativaである」。230
芸術の歴史は個人の歴史となり、英雄たちの物語となり、その形式は専門論文の形となる。
3.
どんな芸術作品も作品が生まれた時代の歴史的産物である。世の中に孤立しては存在できない。習慣や祭式、生活様式、強力な欲求vladnoucimi pt?bamitoに結び付けられている。芸術家でさえ、世の中で孤立した人格ではない。むしろ人間社会によって条件づけられている。だが、また、人間社会のために、言葉を発し、創造しているのだ。芸術とは、社会的方式の趣味にたいして与える道具prost?edekである。231 したがって、芸術の起源vznikも機能funkceも集団的kolektivniなのだ。
そこへ国家や国土や文化の歴史的瞬間がやってくる。それとも芸術は人種、環境、歴史的瞬間(時間)の製品だ。これはテーヌという名前と結びつけられる立場である。232
しかし“製作”という言葉を弁護するなら、少なくとも、芸術は社会的な機能であるsocialni funkci。233 それとも、よく組織された社会の機能である。234
p.74
芸術は、芸術的環境の圏外から、また、実際の集団生活という関係性kontextの中から、人類の意欲と必要から、絶えず生み出されてくる。芸術は、常に、新たに、自分の環境の中から生産produktovanoされる。因果関係がこれらの文化的条件を結合させる(組み合わせる)が、芸術作品(同士を)を相互に結び合わせるということはない。
芸術史は普遍的univerzalni歴史の中に合流してくる。芸術−歴史的因果関係は、したがって、三種類あることになる。それは、各々の芸術作品は自分の歴史的場所を、一つには芸術発展の中に、また一つは芸術家の生活vnit?ni ?ivot? の中に、いま一つは、文化の歴史的運動(変動)の中にv historickem pohybu kultur の中に保持しているからである。
これに対しては様々な歴史概念r?zne koncepce histrickeが対応している。それらの歴史概念の各々は現実にたいして適応(対応)し、理解しているが、それは、いつも一面においてのみである。結局のところ、それは人為的な、芸術の単純化であり、因果関係獲得を目的として、現実に変更を加えようとする試みなのだ。
あらゆる方向において一貫した各々の芸術史は、因果関係のkazualniho vzorce公式を押し付け(natlak)られて、対象として取り上げた現実を単純化しようとする傾向がある。したがって、一切の偏見なしに作業をする、芸術に関する学問のための席が、常に、残されているというわけである。
結局、因果関係は、芸術の美的性質にたいして、まったく関係がないということである。
芸術作品は、とコーンは語る。自分自身のための世界である。その中に、美の特殊な価値が存する。ここでその他の意向や、あらゆる不安が止む。芸術作品は自分のためにあり、その全体は自分の中に存している。
それに反して、芸術史の課題は――その(専門)領域における主導的(最優先の)価値が、個々の評価対象との腐れ縁を(あらゆる依存関係を一切、断ち切り)――領域の一貫した発展が所与されるべきところに由来している。
美的価値は個々の作品を隔離する。それにもかかわらず、芸術史は、芸術作品が一つの(芸術分野の)発展の構成要素?lankyと見なされるときにだけ(芸術史の対象とすることが)できるのである。
ここに芸術史の逆説paradoxieがある。235
美的視線は、発展の因果関係からちょっと目をそらすだけで、現実を仲間にすることができる。すなはち、その方法は、事実v?ciにこだわることだ。どんな芸術作品も事実から独立している。そして事実v?cの中に美的現実esteticka skute?nostが閉じ込められている。それにもかかわらず、それぞれの芸術作品が何から発生したか、成長するかを見逃すわけにはいかない。
しかし、この作品の起源は作品に内在するもの、作品の中に表現されるものとして理解される。だから、たとえば、芸術作品は様式styluという一般的な(ごく普通の)土壌から成長するのかもしれない。だから、歴史historieは、この様式の発展の中で、この作品がいかなる場所を与えられるかを尋ねられる。それにたいして、美的概念は一般的に様式的なるものが、いかなる表現にたどり着くかを探求する。
あるいは歴史的方法は、民族narod特有の感受性や、時代、然るべき芸術の性格を因果関係の中に取り込んでくるかもしれない。それに対して美学的方法は、作品そのものの中で、いかなる特殊な感性が言葉を発しているかを探そうとする。
結局、歴史は作品の張本人としての作者の生涯や性格を尋ねることはできるかもしれないが、しかし、純粋に美学的には、いかなる魂が、いかなる個人の心理が、所与の作品の中で表現されているかを尋ねる。
歴史は芸術作品の前に何があるか、作品の背後に、その周辺に何があるかに目を向ける。しかし、美的調査は所与の作品自体が何を内包しているかということだけを捉える。そしてまた、美的に内包しているものすべてを捉える。
歴史的には、芸術作品は多くの因果関係の体系の交差点として捉えられる。しかし美的にはこれらの因果関係は作品そのものの中に捉えられているし、作品の中に発見できる。それは典型的に非歴史的な、美的概念である。
あらゆる歴史的芸術は、もともとは直接的受容bezprost?edni za?itiのために創作されている。創造する作家を捉えたのと同じものが、その観客にも密接に、内面的に熟知されていた。オリジナルな、自然発生的な偶然の一致は、単なる、運のいい(偶然の)歴史的瞬間にすぎないjen ??astnym historickym okam?ikemのである。
ほかの民族や、他の人たちも同様に素朴naivn?で、過去、または、民俗的に無縁の芸術を理解できないし、自分のもの(自分にたちに近しい民俗芸術)を直接的に理解するのと同じようにはいかない。だから、何のためらいもなく古い遺跡を破壊した。それは必ずしも野蛮人でなくてもいい。
ブルクハルトBurckhardのところで、つい(最)近代までローマの遺跡で何が起きてきたかを読むだけで十分だ。236
しかし、現代人たちは自分の理解できないものの中でも、素朴さnaivity(未熟、素朴)を克服zhodtilする。理解できないことは彼にとって、もはや余計なものではなく、むしろ問題を提起するものproblematickeである。
たとえ我々が古代遺跡を破壊できないとしても、理解することを学ぶことはできる。それらの遺跡の疎遠さも異様さも新しい興味の源泉となるからである。
「古い遺跡の魅力p?vabは、それらの遺跡の中に込められた、民族の霊魂zjeveniの中にある」237 それによって、評価基準なしの芸術領域が我々の前に広がってくる。
美的素朴さesteticke naivit?、直接的な消化のためには、唯一の芸術だけが接近可能である。それとは、受容者の生活圏内に設定されたもの(芸術)のことである。それにもかかわらず、たとえ、どんなに遠距離(遠ざかって)であろうと、あらゆる芸術に接近可能という問題性として挙がってくる。あらゆる民族や時代をも含めて、芸術の境界を移動させることは、新時代が美的危機に襲われた結果である。
そして、ここで道は二股に分かれる。
その一方の道では、作品理解の拠りどころとなる、(情緒的citov?ないしは記録的にdokumentaln?)失われた精神的内容ztracene du?evni obsahy を再生させることができる。そして、作品がまさにそれから生まれ、また、そのために作られた時代や民衆の感情のなかに、自分を移入させることができる。これが理解する主体の設立である。
『我々は――芸術の、または美的体験のある一定の種類の特殊性を理解するよう、特殊な精神的立場を定立するよう――試みをやってみなければならない。
我々は、我々の目で見ればナンセンスnesmyslne、とか、勝手放題とかと見えるような何かが、意味(理性)smyslを受け取るような、そんな精神的一貫性または意識の水準の再建設を試みなければならない。』238
ヤコプ・ブルクハルトは、このような仕事の型を、イタリア・ルネサンスの中で“意識の場所”poloha v?domi (概念)を定着させるために(と記述するべく)過大な努力を惜しんでいない。
だが、これが第二の道である。内容の喪失によって、作品は無動機、無拘束なものになった。何物とも関係せず、自分の芸術的特徴、自分の合法性、自律性しか言うべきこともなくなった。まさにこの異邦人性の中にこそ、絶対的芸術的、自律的、個性的創造性が、我々に見えてくるのである。
芸術作品は、創造vytvarnymという動機以外のいかなる動機にも従属しない自律的表現行動である。これは形式主義的視点である。
現代の形式主義formalismは通常、ヒルデブラントHidebrandの名前と結びつけられている。事実、ヒルデブラントは造形芸術の一つのテーマとして、空間的な、統一的提示、空間の統一、明晰さ、全体性、または一言でいえば、現象(表現)jevuの必然性ととらえている。239
したがって、芸術は創作以外に目的を持っていない。コンラート・フィードレルは芸術的創造を特殊な世界認識として説明していた。
芸術活動は、人間が視覚的世界に向かって、何かに対して無限の謎かけをしているかのように立たされているところで、そして、また、内面的必要に迫られて、自分の精神力によって混乱した、可視的なものの集団を捉えるところから始まる。芸術的活動は可視的なものの混乱した集団に迫り、造形された存在に発展させるのである。
芸術の課題ukolは、積極的に、可視的現象v?ciを混沌と存在の希薄さから、意味の競合から、感情cit?の支配から、精神的関係の縺れから救出することである。芸術は可視的のものに、究極的形formaを与えることである。240
したがって芸術作品は、自律的、精神的活動duchovy vykonであり、自由な創造力を視覚世界に植えつけることである。または、この活動の目的は『可視的なものの総合的概念jednotne pojeti』である。241 したがって、完璧な意見や、純粋な意味での理論の統合と解明である。242
あらゆる種類の認識は、経験を統合し形成するから、芸術は視覚的経験領域における特殊な認識であり、認識の普遍的形式を探求する。認識の最高の条件として意識の統一jednotaがあり、芸術の最高の法則nejvi??im zakonemは統一性jedotnostであるし、(さらに、)観念p?edstavaと感覚的行為smyslove ?innostiとの合法則的一貫性がある。243
したがって、あらゆる時代の芸術作品は、その発展段階上に形成された統一的形式見解として、時間を超えてnad?asove持続する大衆意識の像(イメージ)obrazとして表示される。244
ここまでは、教条的(ドグマティック)形式主義formalismである。しかし、たとえ無意識的であったとしても、形式主義の断片は、あらゆるka?de形式主義的分析formalni analyze に由来している。そこでは、常に、芸術作品は自律的形式utvarとして捉えられている。その法則zakonは造形的なものであり、それ以外の何ものでもない。
内容的、かつ、形式主義的概念は、もちろん多様な観念koncepceである。たとえ、分離不能だとしても、どんな芸術作品もこの形式と内容との二重の視点から択一され、形式と内容(のどちらかに重点が置かれて)二つに引き裂かれる。そして、そのことは美学研究においても、歴史研究においても同様に当てはまる。この二者択一dirempceは芸術についてのあらゆる研究nauk(a)に共通する難題である。
しかし、この側面から見ても、歴史学と、美学では、芸術の理解の仕方が異なる。歴史は芸術作品の上に、このような形式的特徴znakyをも見出すが、それらの特徴は美学的には重要ではないし、魅力もないか、内容もないかである。
しかし歴史的には発展の一段階?lanekとして、また、伝統の証拠として、出生、製作者の特徴として重要である。ここに属するのは、たとえばモレッリ・ベレンソンの探偵手法detektivni metodaである。245
歴史は、さらに、原典pramen?等々の援助を受けて心理的内容を発見する。その内容は、まだ作品の中に表現としては実現されていないものであるが、芸術作品を説明し、その出生や、その他のデータを提供する。
歴史学はさらに、内容的側面からも、形式的側面からも美学的視野の境界からはみ出してしまう。それに反して、美学的研究は作品の美的性格を(歴史学と)共同決定した形式にだけ目を注ぎ、作品の明確な構成(相対的配置、輪郭)の中にv nazorne konfiguraci、客観的形式の表現を把握dochaziしたかぎりにおいてのみ内容、または意味の解明に取り掛かる。
歴史的図像学historicka ikonografieと形式の歴史的分析historicka anzlyza formyは、直接的接点はなく、相互に無関係に進行する。したがって、単なる補助的な方法の性格razu metod pouze pomocnychが強まってくる。
その反対に、美学研究における内容と形式は相互に依存し、関係づけ合う。その結果、形式の研究は作品の美的内容までも消費し、逆に、形式の表現性までもが美的内容よりも低く見なされ、その結果、形式と内容の二者択一性は――少なくとも理想的なケースにおいても――損なわれてしまう。
これによって、美学的手法は、歴史的視点よりも一層、現実に接近する。そこで、芸術史の逆説は特殊な美学への関連づけを行う。(その美学は)幾重にも偽装を施した芸術史の中に美学的視点を導入し、方法的純粋性へと導く。