[―客観的な美的認識


  1.芸術の批評

 芸術は、芸術的環境の圏外から、また、実際の集団生活という関係性kontextの中から、人類の意欲と必要から、絶えず生み出されてくる。芸術は、常に、新たに、自分の環境の中から生産produktovanoされる。因果関係がこれらの文化的条件を結合させる(組み合わせる)が、芸術作品(同士を)を相互に結び合わせるということはない。
芸術史は普遍的univerzalni歴史の中に合流してくる。芸術−歴史的因果関係は、したがって、三種類あることになる。それは、各々の芸術作品は自分の歴史的場所を、一つには芸術発展の中に、また一つは芸術家の生活vnit?ni ?ivot? の中に、いま一つは、文化の歴史的運動(変動)の中にv historickem pohybu kultur の中に保持しているからである。
 これに対しては様々な歴史概念r?zne koncepce histrickeが対応している。それらの歴史概念の各々は現実にたいして適応(対応)し、理解しているが、それは、いつも一面においてのみである。結局のところ、それは人為的な、芸術の単純化であり、因果関係獲得を目的として、現実に変更を加えようとする試みなのだ。
 あらゆる方向において一貫した各々の芸術史は、因果関係のkazualniho vzorce公式を押し付け(natlak)られて、対象として取り上げた現実を単純化しようとする傾向がある。したがって、一切の偏見なしに作業をする、芸術に関する学問のための席が、常に、残されているというわけである。
 結局、因果関係は、芸術の美的性質にたいして、まったく関係がないということである。
 芸術作品は、とコーンは語る。自分自身のための世界である。その中に、美の特殊な価値が存する。ここでその他の意向や、あらゆる不安が止む。芸術作品は自分のためにあり、その全体は自分の中に存している。
 それに反して、芸術史の課題は――その(専門)領域における主導的(最優先の)価値が、個々の評価対象との腐れ縁を(あらゆる依存関係を一切、断ち切り)――領域の一貫した発展が所与されるべきところに由来している。
 美的価値は個々の作品を隔離する。それにもかかわらず、芸術史は、芸術作品が一つの(芸術分野の)発展の構成要素?lankyと見なされるときにだけ(芸術史の対象とすることが)できるのである。
 ここに芸術史の逆説paradoxieがある。235
 美的視線は、発展の因果関係からちょっと目をそらすだけで、現実を仲間にすることができる。すなはち、その方法は、事実v?ciにこだわることだ。どんな芸術作品も事実から独立している。そして事実v?cの中に美的現実esteticka skute?nostが閉じ込められている。それにもかかわらず、それぞれの芸術作品が何から発生したか、成長するかを見逃すわけにはいかない。
 しかし、この作品の起源は作品に内在するもの、作品の中に表現されるものとして理解される。だから、たとえば、芸術作品は様式styluという一般的な(ごく普通の)土壌から成長するのかもしれない。だから、歴史historieは、この様式の発展の中で、この作品がいかなる場所を与えられるかを尋ねられる。それにたいして、美的概念は一般的に様式的なるものが、いかなる表現にたどり着くかを探求する。
 あるいは歴史的方法は、民族narod特有の感受性や、時代、然るべき芸術の性格を因果関係の中に取り込んでくるかもしれない。それに対して美学的方法は、作品そのものの中で、いかなる特殊な感性が言葉を発しているかを探そうとする。
結局、歴史は作品の張本人としての作者の生涯や性格を尋ねることはできるかもしれないが、しかし、純粋に美学的には、いかなる魂が、いかなる個人の心理が、所与の作品の中で表現されているかを尋ねる。
 歴史は芸術作品の前に何があるか、作品の背後に、その周辺に何があるかに目を向ける。しかし、美的調査は所与の作品自体が何を内包しているかということだけを捉える。そしてまた、美的に内包しているものすべてを捉える。
 歴史的には、芸術作品は多くの因果関係の体系の交差点として捉えられる。しかし美的にはこれらの因果関係は作品そのものの中に捉えられているし、作品の中に発見できる。それは典型的に非歴史的な、美的概念である。
あらゆる歴史的芸術は、もともとは直接的受容bezprost?edni za?itiのために創作されている。創造する作家を捉えたのと同じものが、その観客にも密接に、内面的に熟知されていた。オリジナルな、自然発生的な偶然の一致は、単なる、運のいい(偶然の)歴史的瞬間にすぎないjen ??astnym historickym okam?ikemのである。
 ほかの民族や、他の人たちも同様に素朴naivn?で、過去、または、民俗的に無縁の芸術を理解できないし、自分のもの(自分にたちに近しい民俗芸術)を直接的に理解するのと同じようにはいかない。だから、何のためらいもなく古い遺跡を破壊した。それは必ずしも野蛮人でなくてもいい。
 ブルクハルトBurckhardのところで、つい(最)近代までローマの遺跡で何が起きてきたかを読むだけで十分だ。236
 しかし、現代人たちは自分の理解できないものの中でも、素朴さnaivity(未熟、素朴)を克服zhodtilする。理解できないことは彼にとって、もはや余計なものではなく、むしろ問題を提起するものproblematickeである。
たとえ我々が古代遺跡を破壊できないとしても、理解することを学ぶことはできる。それらの遺跡の疎遠さも異様さも新しい興味の源泉となるからである。
「古い遺跡の魅力p?vabは、それらの遺跡の中に込められた、民族の霊魂zjeveniの中にある」237 それによって、評価基準なしの芸術領域が我々の前に広がってくる。
美的素朴さesteticke naivit?、直接的な消化のためには、唯一の芸術だけが接近可能である。それとは、受容者の生活圏内に設定されたもの(芸術)のことである。それにもかかわらず、たとえ、どんなに遠距離(遠ざかって)であろうと、あらゆる芸術に接近可能という問題性として挙がってくる。あらゆる民族や時代をも含めて、芸術の境界を移動させることは、新時代が美的危機に襲われた結果である。
そして、ここで道は二股に分かれる。
その一方の道では、作品理解の拠りどころとなる、(情緒的citov?ないしは記録的にdokumentaln?)失われた精神的内容ztracene du?evni obsahy を再生させることができる。そして、作品がまさにそれから生まれ、また、そのために作られた時代や民衆の感情のなかに、自分を移入させることができる。これが理解する主体の設立である。
『我々は――芸術の、または美的体験のある一定の種類の特殊性を理解するよう、特殊な精神的立場を定立するよう――試みをやってみなければならない。
我々は、我々の目で見ればナンセンスnesmyslne、とか、勝手放題とかと見えるような何かが、意味(理性)smyslを受け取るような、そんな精神的一貫性または意識の水準の再建設を試みなければならない。』238
ヤコプ・ブルクハルトは、このような仕事の型を、イタリア・ルネサンスの中で“意識の場所”poloha v?domi (概念)を定着させるために(と記述するべく)過大な努力を惜しんでいない。
だが、これが第二の道である。内容の喪失によって、作品は無動機、無拘束なものになった。何物とも関係せず、自分の芸術的特徴、自分の合法性、自律性しか言うべきこともなくなった。まさにこの異邦人性の中にこそ、絶対的芸術的、自律的、個性的創造性が、我々に見えてくるのである。
芸術作品は、創造vytvarnymという動機以外のいかなる動機にも従属しない自律的表現行動である。これは形式主義的視点である。
現代の形式主義formalismは通常、ヒルデブラントHidebrandの名前と結びつけられている。事実、ヒルデブラントは造形芸術の一つのテーマとして、空間的な、統一的提示、空間の統一、明晰さ、全体性、または一言でいえば、現象(表現)jevuの必然性ととらえている。239
したがって、芸術は創作以外に目的を持っていない。コンラート・フィードレルは芸術的創造を特殊な世界認識として説明していた。
芸術活動は、人間が視覚的世界に向かって、何かに対して無限の謎かけをしているかのように立たされているところで、そして、また、内面的必要に迫られて、自分の精神力によって混乱した、可視的なものの集団を捉えるところから始まる。芸術的活動は可視的なものの混乱した集団に迫り、造形された存在に発展させるのである。
芸術の課題ukolは、積極的に、可視的現象v?ciを混沌と存在の希薄さから、意味の競合から、感情cit?の支配から、精神的関係の縺れから救出することである。芸術は可視的のものに、究極的形formaを与えることである。240
したがって芸術作品は、自律的、精神的活動duchovy vykonであり、自由な創造力を視覚世界に植えつけることである。または、この活動の目的は『可視的なものの総合的概念jednotne pojeti』である。241 したがって、完璧な意見や、純粋な意味での理論の統合と解明である。242
あらゆる種類の認識は、経験を統合し形成するから、芸術は視覚的経験領域における特殊な認識であり、認識の普遍的形式を探求する。認識の最高の条件として意識の統一jednotaがあり、芸術の最高の法則nejvi??im zakonemは統一性jedotnostであるし、(さらに、)観念p?edstavaと感覚的行為smyslove ?innostiとの合法則的一貫性がある。243
したがって、あらゆる時代の芸術作品は、その発展段階上に形成された統一的形式見解として、時間を超えてnad?asove持続する大衆意識の像(イメージ)obrazとして表示される。244

ここまでは、教条的(ドグマティック)形式主義formalismである。しかし、たとえ無意識的であったとしても、形式主義の断片は、あらゆるka?de形式主義的分析formalni analyze に由来している。そこでは、常に、芸術作品は自律的形式utvarとして捉えられている。その法則zakonは造形的なものであり、それ以外の何ものでもない。
内容的、かつ、形式主義的概念は、もちろん多様な観念koncepceである。たとえ、分離不能だとしても、どんな芸術作品もこの形式と内容との二重の視点から択一され、形式と内容(のどちらかに重点が置かれて)二つに引き裂かれる。そして、そのことは美学研究においても、歴史研究においても同様に当てはまる。この二者択一dirempceは芸術についてのあらゆる研究nauk(a)に共通する難題である。
しかし、この側面から見ても、歴史学と、美学では、芸術の理解の仕方が異なる。歴史は芸術作品の上に、このような形式的特徴znakyをも見出すが、それらの特徴は美学的には重要ではないし、魅力もないか、内容もないかである。
しかし歴史的には発展の一段階?lanekとして、また、伝統の証拠として、出生、製作者の特徴として重要である。ここに属するのは、たとえばモレッリ・ベレンソンの探偵手法detektivni metodaである。245
歴史は、さらに、原典pramen?等々の援助を受けて心理的内容を発見する。その内容は、まだ作品の中に表現としては実現されていないものであるが、芸術作品を説明し、その出生や、その他のデータを提供する。
歴史学はさらに、内容的側面からも、形式的側面からも美学的視野の境界からはみ出してしまう。それに反して、美学的研究は作品の美的性格を(歴史学と)共同決定した形式にだけ目を注ぎ、作品の明確な構成(相対的配置、輪郭)の中にv nazorne konfiguraci、客観的形式の表現を把握dochaziしたかぎりにおいてのみ内容、または意味の解明に取り掛かる。
歴史的図像学historicka ikonografieと形式の歴史的分析historicka anzlyza formyは、直接的接点はなく、相互に無関係に進行する。したがって、単なる補助的な方法の性格razu metod pouze pomocnychが強まってくる。
その反対に、美学研究における内容と形式は相互に依存し、関係づけ合う。その結果、形式の研究は作品の美的内容までも消費し、逆に、形式の表現性までもが美的内容よりも低く見なされ、その結果、形式と内容の二者択一性は――少なくとも理想的なケースにおいても――損なわれてしまう。
これによって、美学的手法は、歴史的視点よりも一層、現実に接近する。そこで、芸術史の逆説は特殊な美学への関連づけを行う。(その美学は)幾重にも偽装を施した芸術史の中に美学的視点を導入し、方法的純粋性へと導く。