指先




 ・ ・ ・・・……っしろになってしまったけど、そういえば、明日が卒業式てひとも多いんじゃないかな?そういえばね、僕の卒業式のときも そうだったんだ、高校のときも、中学のときもそう。まぁ北国に生まれた宿命てやつかもしれないよね。けど、変わりに北国に育って良かったこ とはたくさんある。少なくとも、女の子は可愛い。……おっと、ちょっとリップサービスが過ぎてしまったかな。じゃぁ、次のメッセージ。

 を、読む前に、軽くお知らせがある。お知らせ、というかメッセージ、というべきか。何時もメッセージを読んでる僕が発する、最初で最後の メッセージだ。永くはないんでちょと聴い ……・・・ ・ ・





 ハガキを縦に破くと、私はひとつ小さく首を振った。これで何枚ハガキをムダにしたことだろう。けど、ハガキを縦に破く、というのは一種の 儀式でもあった。こうでもしない限り、今にもポストに血迷ってこれを落としてしまいそうな自分がいる。やれやれ、そんな私を私は大嫌いなの だ。そんなのて、まるで救いがないじゃないか。

 合格発表の場で、彼の姿を見つけた。結果的に同じ大学を受けることになったのは偶然だったけど、同じ時間に居合わせたのは決して偶然では なかった。暫く視線が紙と壁の間を往復し、途端、彼の表情は喜びへと変わった。ふと私は、自分の受験票を探した。けど見当たらない。まぁい いや。と思う。どうせ何の役にも立たない紙切れだったんだ。普段は無表情な彼の無防備な笑顔を目に焼き付けてから、私はそっと踵を返した。 ふと、何かを踏みつけた気がした。下を見ると、縦に綺麗に裂かれた、私の受験票が、雪から半分顔を出していた。ため息が空をそっと白く上 る。私は手袋を外して、それを丁寧に雪の中へ埋めた。

 決して、学校へ行くつもりじゃなかった。けど他に行く場所も思いつかなかった。授業中の学校は静まり返っている。1年のいる1階、2年のい る2階を静かに横切り、私たちの教室へと向かう。そしてそれは、最早私たちの教室ではない。ここに来る機会は、あと1回だけ。暖房のついてな い教室にコートを着たまま入る、窓をほんの少し開けて、私は窓際の席に座る。2ヵ月前まで、私の席だった場所、そして、その右隣に、彼がい た。カーテンが揺れて、冷たい風が入ってくる。ほんの少し、雪に埋め尽くされた校庭が、窓の隙間から見える。





 ・ ・ ・・・……っと面白いハガキやメールが何通も届くんだ。つまりね、この番組のこのコーナーに関するちょっとした噂のことだ。至極単 純明快な噂。リクエストメッセージとは別に何人もの女の子からこんなレターが届くんだ。ありがとう。やっぱり噂は本当だったんだね。て感じ に。噂てなんだ、て思うけど文面見ると別段悪い噂ではないらしい。で、読み進めるとどうやらこういうことらしい。どうやらある高校でこんな 話があちこち囁かれてるて言うん ……・・・ ・ ・





 小さな腕時計で時間を確認すると、ウォークマンのテープを止めて、FMに音源を切り替えた。他愛のないDJが送る、他愛のない番組。私たちの クラスでは、勉強の隙間のささやかな娯楽として、何故かこの番組のことが話題となっていた。その番組に纏わる話は次々クラスからクラスへと 伝播し、やがて高校中の女子の多くが、この番組を聴くようになっていた。他愛のない音楽と共に贈られる、他愛のないメッセージ。その他愛の なさを、私たちは他のなにより愛していたのかもしれない。

 他愛のない回想。なんで彼に惹かれたのだろう?愛想は決して良くなかった。友達が多い訳でも少ない訳でもなく、明るい訳でも無口な訳でも ない。ただ、自分の範囲外の人間に対しては徹底的に無愛想で、それは私に対しても同様だった。HRが終わると、そのまま彼は教室の外へと消え た。部活をやっているという話も、予備校に行っているという話も聞いたことがなかった。一体彼は何処に向かっていたのだろう?教室のドアに 手をかける彼の後姿を思い描きながら、そっと、目を閉じる。





 ・ ・ ・・・……この番組のこのコーナーで、僕がリスナーのメッセージを読むと、願いが叶う、て言うんだ。特に恋愛に効果覿面らしいね。 その学校と、近くの高校だけで20人以上彼氏彼女ができたらしい、統計的事実、驚きだね。自分で自分のメッセージを出せないことが悔しいた ……・・・ ・ ・





   風が冷たくなりすぎていた。ふと思い立って、私は窓を閉めた。揺れていたカーテンが静止する。音も影も止まる。そのまま席を立ち、私は教 室の扉に手をかけた。ふと、振り返る。当たり前だけど、誰もいない。誰かが置き忘れた画板が、窓際に立てかけてあるだけだった。そして、私 は扉を閉じる。

 4階に向かうことなんて殆どなくなっていた。1年の頃あんなに好きだった図書室は、今入ると息が詰まるような気分に何故かなるし、進路指導 室で相談に乗って貰えるほど器用な生徒ではなかった。書道室に至っては一度も足を踏み入れたことはない。幾つかの部屋の前を通り過ぎ、私は 開きっぱなしの部屋へ入る。カーテンがかかってるのか、薄暗い部屋。蛍光灯のスイッチを押し、電気をつける。カーテンを開き、それから蛍光 灯を消す。



 

 ・ ・ ・・・……ろいたよ、だってそんな評判になってるとは、僕自身まるで思ってなかった。そういう風に僕の番組を気に入ってくれてるひ とがいるてのはなんだか嬉しい。しかも、少なくともそのひとにとっては、ただ気に入ってるんじゃなくて、とくべつに、思い入れを もってくれてることなんだろう? リップサービス抜きで、嬉しいんだよ。けどね。僕は矢を放つ天使なんかじゃないし、神様でもない。夢を 売ってる訳ですらない。つまり何も特別なことをやっている訳じゃない。僕の言いたいことはわ ……・・・ ・ ・





 音楽室に入るのは1年前の器楽の試験以来だった。授業以外で使われることのない部屋。かつては放課後にも歌声が響いたらしいが、今では何 枚かの賞状と演奏会のポスターがその面影を残すのみだった。ピアノは静かに佇んでいる。ふと、私は教室の奥へと足を運ぶ。奥の重い扉を開け ると、そこに器楽室がある。何十のギターが並び、打楽器が転がり、笛が机の上に幾つか揃っている。

 私はギターを手にとった。1年前の不真面目に聞いた授業の内容を思い出す。弦をひとつひとつ、それから6本一編に弾く。音が違う気がする。 けどそんなことはどうでも良かった。チューニングなんてしたところで、正しさと間違いの溝は深まるだけだ。正しかろうか間違っていようが、 黙ってそれを受け入れるしかないのだ。そして記憶を辿り、和音をひとつ、左手で抑える。

 





 ・ ・ ・・・……つまりこういうことだよ、至って言いたいことはシンプルだ、メッセージを読んだのは、僕だけど、メッセージを伝えたい、 と思ったのは君自し ……・・・ ・ ・  





   あいまいな記憶を辿って、出鱈目な和音で出鱈目な歌詞を歌う。テンポは崩れ、速くはなり途中で止まり、また遅くなる。呼吸は滅茶苦茶で、 4拍伸ばすべきところが2拍で止まる。それでも構うものか、と引き続ける。どうで伝わるものなんて、なにひとつないのだ。誰もいない教室で、 誰も聴かない歌を歌う。誰にも伝わらない言葉を紡ぐ。熱くなってきて、ギターを置いてコートを脱ぎ捨てる。マフラーも外す。暖房なんてつい てないのに汗をかいている。汗をかいたのなんて一体何ヶ月ぶりだろう?

 ギターを弾く手が止まったのは、弦が切れたせいだった。切れた弦が左手に掠める。見ると、薬指の真ん中が切れていた。最初は大したことな い、と思ってたのだけど、だんだんと痛みを自覚する。もう一度見ると、薬指はとっくに血にまみれていた。あわててハンカチを探す。鞄をあけ ようとすると鞄に血がついた。やれやれ。薬指を口唇の隙間にはさみ、思い切り血を吸う。

 あまりにあわてていたので、そこに人影があったことに気付かなかった。指を咥える私を、彼は黙って見つめていた。一瞬目が合う。私は指を 慌てて口から離し、ポケットに手を入れる。そこでポケットの奥にハンカチがあることに気付いた。必要なものは、必要なときに傍にあればある ほど、気付かないものなのだ。

 私がきつくハンカチを指に巻いている間に、彼は立てかけてあった弦の切れたギターを手にとった。そして手慣れたふうな動作で、切れた弦を 外す。そして、棚へと歩き、引き出しを開け、そこから弦の換えを取り出した。

 





 ・ ・ ・・・…… して、僕は思うんだけど、本当に伝えたいことの前では、ことばなんて実に無力なものな ……・・・ ・ ・  





   ごめん。と聞こえた。私が黙って顔を左薬指から上げると、彼と目が一瞬合う。ふと、彼が微笑えんだ。「これ、僕の私物だから。」彼は弦を しっかりと張り、手早く弦を押さえ、何度か1弦1弦音を鳴らす。それから6弦を鳴らす。正しい歯切れ良い和音が聞こえる。そうか、と思う。正 しい、ていうのは、こういうことなんだ。

 「さっき、何歌ってたの?」彼は聞く。私は視線を伏せたまま黙っている。彼は私に質問を投げかけるのを諦め、指を慣らすためかすばやく音 階を弾いた。ドレミファソラシド。「他人の前で歌うことて、ないんだけどね。」彼は微笑えみながら短く言う。「怪我の、お詫び。」そして 彼の右手が弦をひとつひとつ、丁寧に弾いていく。彼の左の薬指が微かに震えている。そして、彼の小さい口唇の隙間がそっと開く。正しい和音 に素直な旋律、整ったことば。左薬指が疼いて、自分がどんな表情をしていたかなんて、全く気付かなかった。そのときは。







 ・ ・ ・・・…… て、次のメッセージ。今日最後のメッセージ。







「たぶん、君は、私の頬が真っ赤だったから、微笑っていたんだよね?」








僕のささやかな長話に付き合ってくれて、ありがとう。曲は、S――――






 ラジオを消して、コートを着て、マフラーを巻き、暗く寒い外へと出た。空気はあくまで冷たい。けど、間違いなく1ヶ月前よりも暖かくなっ ている。少しずつだけど、春は近づいている。傷口が完全にふさがった頃に、桜の花は開くのだろうか。白い息を手袋をした手でかき散らしなが ら、私は待ち合わせの場所へと急いだ。そっと触れた頬は赤く、そして、ほんの少し、暖かい。











ask/2004