プライス


 オークションにでることにしたの、と彼女は言った。僕は珈琲にミルクを入れている最中だったが、驚きのあまりミルク壷をひっくり返してしまった。即座にウェイターがあらわれて、テーブルをふき、皿を取り替えた。なんで、と僕は聞いた。何か不満でもあるのかい? そうじゃないの、と彼女は言った。他の可能性を試してみたくなったの。もう出品の手続きは済んだのよ。彼女は悪戯ぽく微笑んだ。これはもう決まったことなのよ。僕は聞く。君は僕のつけた「プライス」に納得できないのかな。 彼女は目を伏せて横に首を振った。そういうことじゃないのよ。

 僕は先月見た見開きの新聞広告を思い出した。オークションの広告は、何時も小気味の良いセンスにあふれていたが、そのセンスは僕の日常生活とは合い入れないものだと思ってた。しかし今目の前で、彼女はオークションに出るといっている。確か広告のコピーはこうだった。「春眠、暁を覚えよ!第147回オークション、3月22日堂々開幕!」僕は隣で眠る彼女の寝顔を思い描いた。僕には彼女の睡眠を邪魔するつもりなんて毛頭ない。それに、彼女を起こして良いのは僕だけだと思っていたんだ。出品価格は? と僕は聞いた。彼女が口にした額は、僕の想像より弱冠少なかった。それは去年の暮れ、僕が彼女に提示した「プライス」の3分の2程度だった。僕は軽く溜め息をついた。

 考え直して欲しい。と僕が言うと、彼女はうつむいて首を横に降った。そして皿に乗っていたスプーンを片手で摘んで、軽くカップを叩いた。カチンと音が静かな店内に響き渡る。彼女の手の中にあるスプーンは、僕に先日NHKのドキュメンタリーで見た「賢者の杖」を思い起こさせた。静かなナレーションが頭の中に流れる。この杖は、ナポレオン・ボナパルトがエジプトから持ちかえったもので、現在大英博物館に収蔵されています。伝説ではその昔、クフ王が南方の夷賊を制圧するために任じた将軍に与えたものであると……。

 お替わりはいかがですか。というウェイターの声が僕を現実に引き戻した。そうだ、オークションだ。珈琲が再び満たされる。僕は用心深くミルクを注ぐ。分かった。と乾いた喉をうるおしてから僕は言った。君のやりたいようにやれば良い。けど、僕は君に入札する。そして君を何がなんでも落札する。僕は搾り出すように言った。君を他の誰かに落札させやしない。他の誰にも君の価値なんて分かりっこないんだ。君には僕が必要だし、僕には君が必要なんだ。何より僕は、誰にも君の眠りを邪魔させたくないんだよ。分かった。と彼女は呟き微笑んだ。ありがとう。会場で会えるの、楽しみにしているね。

 それが彼女の言葉を聞いた最後だった。当日彼女は会場に来なかったのだ。僕は退屈混じりに目の前で行われるオークションの様子を眺めていた。実につまらない人間が高値で取引されているものだ。僕はそっと目を閉じて、出品された彼女の姿を想像する。途端、歓声とともに、74人目の出品者の落札価格が辺りに響き渡った。

















※この文章は某所で行われたパーティ内で実施された
 「1200字制限で60分内に『春眠、オークション、賢者』の
 三つのキーワードを使って文章を書いてみな。」
 といったゲームで書き下ろした雑文を思い出しながら書きなおしたモノです。




as-K/2002