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同級生 上野行の電車の中で僕は彼女と出会った。僕は読んでいた文庫本を畳み、しばらく目を閉じていたが、ふと声がした気がして目が覚めた。元気そうだね?……元気そう?僕は小さな疑問符を頭に浮かべながら目を開けた。 目の前の席に、彼女が座っていた。始発の電車で、先頭車両には他に誰もいなかった。彼女の声は、空っぽの先頭車両の中で、小さく、けれどはっきりと響いていた。久し振り、と僕は言った。彼女はそっと肯いた。 彼女は僕の同級生だった。高校の3年間のうち、終わりの2年間、同じクラスにいた。その2年間の高校生活の中の多くの時間、彼女は僕の隣の席にいた。どういうわけか、2年間で7回あった席替えのうち4回か5回、彼女は僕の右隣の席になった。けど僕は、その事実を自然なこととして受け止めていた。彼女は僕の右隣にいる。それ以上でもそれ以下でもない。たぶん、彼女もそう思っていたんだと思う。僕は、彼女の左隣にいるし、それ以上でもそれ以下でもない。 僕は黒いスーツを着ていた。ネクタイは緩み、不精髭は伸び放題だった。彼女は、カーキ色のジャケットを着ていた。5年前は耳にかかる程度だった髪は肩まで伸びている。顔はほんの少し痩せたようにも見える。そう言えば、と僕は思った。私服の彼女を見たのは久し振りだった。けど、よくよく考えると、彼女と学校の外で会ったことなんて1度もなかった。一体、僕は何処で、僕は彼女の私服を見たのだろう。少し考えてみたけど、思い出せない。彼女に聞いてみようとしたけど、余り意味のある質問だとは思えなかったので、止めておいた。 都合の良いことに、僕等は窓際の席に座ることが多かった。暖かい陽射しが差し込む昼下がり、リーダーの授業、僕はノートの片隅に2Bの鉛筆で絵を描いていた。描くものは何時も同じだった。僕は右手で隠しながら絵を描く習慣があったのだけど、ふとした拍子にその絵を右隣の彼女に見付かって以来、隠しながら描くのを止めた。彼女は僕が何を描いているのか知っていたけど、何も言わなかった。時々、教科書を手繰りながら、何かを確かめるように僕の動いている右手を見つめることがあったけれど、それだけだった。僕はその事実に安心し、転た寝と転た寝の合間に、ノートの隅を絵で埋め尽くした。 彼女はふと思い出したように、向かいの席を立つ。そして、僕を見つめる。僕は少し迷う。彼女が首を傾げる。そこでようやく彼女が席を立った意図に思い当たった。僕は通路側に席を移し、座っていた窓際の席を開けた。彼女はその空いた席に座る。右隣。久し振りに、彼女の横顔を僕は覗いた。あの頃僅かに見えた、少し髪のかかった耳のかたちが、僕は気に入っていた。彼女は自然にその位置に収まると、そっと微笑んだ。つられて僕も微笑った。こんなに穏やかな笑顔を浮かべたのは、一体いつ以来だろう? 3年の1月。僕等は受験生で、学校に来る機会は限られて来ていたのだけど、新学期の一種の習慣として、クラスで席替が行われた。窓際の最後列にいる僕と彼女には最後にくじをひく順番が廻って来た。僕等は黙ってくじを引き、そして開いた。そして動き出していた周囲に合わせ、席を動かした。目的の場所に辿り付き、席を固定しようとすると、隣にいる彼女と目があった。彼女も席を固定しようとしていた。 しかし彼女は僕の右隣にはいなかった。彼女が席を置いたのは、僕の左隣だった。ほんの僅かの時間、僕は彼女を見つめ、彼女は僕を見つめた。彼女は少し迷っているように見えた。見ると、彼女の左手には、小さく折りたたまれたくじが納まっていた。僕はポケットの中のくじを右手に掴み、周囲に見えないよう、彼女の左手に置いた。指と指が触れる。手は冷たく、その感触がなぜか、僕をほんの少し動揺させた。彼女は黙ってそれを受け取る。僕は彼女のくじを手に隠しながら回収した。顔を上げる。彼女は微笑っていた。つられて僕も微笑った。それから、僕等は黙って、席を動かした。 僕等は、その行動を自然なこととして受け止めていた。彼女は僕の右隣にいる。それ以上でもそれ以下でもない。そして、僕は彼女の左隣にいるし、それ以上でもそれ以下でもないのだから。 座席の熱が身体中に伝わってくる。途端、僕は激しい眠気に襲われた。おやすみなさい。彼女は囁いた。おやすみ。僕は電車の揺れに身を任せ、そっと目を閉じた。かつて描いていたものを、頭に思い描きながら、僕は浅い眠りへとついた。イメージはとても曖昧で、そのことが僕をほんの少し寂しくさせたけど、それでも思い浮かべずにはいられなかった。転た寝と転た寝の間に彼女の冷たい左手の感触を感じながら、僕はささやかな夢を見た。 ふと声がした気がして目が覚めた。ありがとう。……ありがとう?僕は小さな疑問符を頭に浮かべながら目を開けた。 右隣には誰もいなかった。始発の電車は終点に近づき、先頭車両にも10人程度の人間が憂鬱そうな顔をして座っていた。彼女の姿を探したけれど、先頭車両の中に、彼女の、小さく、けれどはっきりとした瞳は何処にもなかった。ありがとう、と僕は小さく口に出して言ってみた。答えが返ってくる代わりに、車掌が大袈裟な声で、上野駅への到着を告げた。僕は緩んだ黒いネクタイを解き、首を振り、席を立つ。小さな額の中に収まった、私服を着た彼女の写真を、そっと思い出しながら、僕はホームへと下り立った。ふと涙がこぼれたのは、たぶん、ホームに溢れる朝の光が、眩しかったせいなんだと思う。
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