第三章     無の系譜

無の歴史は、人類の歴史とともに始まっている。

それは、言葉のない世界から始まる。

何から何までない世界に生きていた、人間と呼べるに程遠かった存在であった人間が、体験したのが無の世界であった。

夜になれば光がなく、獲物が取れなければ食い物がなく、日照りになれば水がなく、冬になれば、暖をとる火もなかった。

このように生活のすべてが、自然任せであった。

それが、知能の発達により、無の世界からの有の世界を目指すようになった。

生きるために、自然の支配から少しでも自由になろうとした。

火のおこし方を発見し、狩猟の道具を発明し、水の保存のための容器や井戸を掘ることを発見し、寒い冬でも、住居と衣服と火による暖房により、寒さをしのぐことができた。さらに、食料の保存により、狩猟に出られなくても、食いつなぐことができた。

有の世界の便利さを、身にしみて感じたのである。

蓄積された知恵は、言葉の発明により、他者への伝達が速くなり、文字の発明により、代々にわたって、先祖の知恵の伝達も可能となった。 これにより、自然の中で単独では弱い存在だった人間は、互いに助け合いながら知恵を広め、有の世界をすこしずつ大きくしていき、自然の支配から自由になっていったのである。 有とは、創造物の有と言えるであろう。

有の世界にいると、このような人類の歴史を忘れ、単独で自然の支配から自由になったように感じることが多い。

それが、一度、自然の中に放り出されると、不自由さを感じてしまう。 電気もない、水道もない、電話もない、車も、TVも、本もない。 生きるためには、無の世界から調達しなければならない。祖先の人間がやってきたように。

実をいえば、人間を支えてきたのは、無の世界である。

そのことを再認識すると、これからの生き方が変わるかもしれない。

いまさら、原始人の生活をしようというのではない。 

有は、ひとりの有ではなく、人間がお互いに助け合って生まれた有であることを認識し、みなの有であることを思い出すことである。 有の有難さは、無の世界に投げ出されたとき、知ることができ、無の有難さは、有の世界で知ることができる。 

人間の一生は、無の世界から、有の世界に入り、無の世界へと帰っていくサイクルである。

いつ有の世界に入り、いつ無の世界に帰っていくかは、自分ではわからない。

有の世界に住みつつ、無の世界に遊ぶことが、人間を支えているものを知るチャンスといえよう。

無の系譜は、無の世界に遊ぶことのできた人間たちの歴史である。

(次回に続く) 2000.6.11現在