老子小話 VOL 990 (2019.11.02配信)

俄而有無矣、

而未知有無之果孰有孰無也。

(荘子、斉物論篇第二)

 

俄かにして有無あり。

しかも未だ有無の果たして

いずれか有にして

いずれか無なるやを知らず。

 

今回は、荘子の言葉をお届けします。

「にわかに有無の対立が生まれる。

その対立はどちらが有でどちらが

無であるのかわからない。」

哲学的であり、根源的な疑問を

投げかける言葉でもあります。

人生の中で少なくとも一回は

自分に投げかける問いがあります。

「自分はなぜ生まれてきたのか?」

生まれてこなかったら自分は

この世にいないわけで、これは

根源的な問いです。

生まれてきたからには、いつか

死ななければいけない。

つまり生まれた同時に生と死の機会を

与えられた存在が自分です。

では生まれたときが、自分の始まりか

というとそうではない。

自分という肉体を授かった意味では

始まりです。

しかし自分の中の遺伝子は、遠い

過去を引きずった情報源なので、

その始まりは生命の起源まで遡る。

生命の起源は宇宙の起源まで遡るので、

宇宙の誕生の前に無の世界があったのか

という問題に行き着きます。

荘子の言葉は、有無の世界は同一だと

言っています。

有の世界の向こう側には無の世界が

広がり、無の世界の向こう側には

有の世界が広がる。

鏡のこちら側と向こう側の関係です。

有とか無を区別することなく、

有と無の両方を一体として捉える

と大事なものが見えてくる。

有があるから無があり、無があるから

有がある。

老子の無も、有を受け入れるゆとりの

ようなもので、無用の用です。

空腹のとき、どんな食事も美味しくなる

ので、空腹もありがたいもの。

有無の対立は、本来ないものをあるかの

ように、頭の中で作り出している。

無を悲しむ前に、有の起源を思い浮かべて

欲しいというのが荘子の結論でしょうか。

富裕層が、富の起源を貧困層の労働の搾取

にあると認識できれば、富の分配もうまく

機能するはずですが。

 

有無相生

 

 

戻る