老子小話 VOL 989 (2019.10.26配信)

挫其鋭、解其紛、

和其光、同其塵。

(老子、第四章)

 

其の鋭を挫いて、其の紛を解き、

其の光を和らげて、其の塵に同ず。

 

今回は、老子の言葉をお届けします。

老荘小話をテーマにしているにも

関わらず、老子の登場が少なかったので、

今回、和光同塵のもとになった言葉を

取り上げました。

和光同塵は、自分の才能を隠して

俗世間で目立たないように暮らす

という意味に一般的に使われます。

しかし、老子はもっと深いところで、

言葉を使っているようです。

今「100分de名著」で、西田幾多郎の

「善の研究」をやっています。

それを見て、西田哲学と老子思想の

類似点をおぼろげながら感じました。

モノにはそれを表現する名前がついて

います。

名前をつけるとモノの実態を離れて、

名前という光が目立ち始め、あたかも

光が始めからあったように世界から

浮かび上がってくる。

番組の中では、赤いりんごというと、

自分の眼で見たりんごから離れて、

観念の世界に対象を置いてしまう。

それは、そのモノの本質を見誤る

原因となる。

「その紛」は、言葉が先走って誤解

した結果生まれる混乱でしょう。

今日見たりんごと、明日見るりんご

は全く別のモノになる可能性を失う。

老子の、「その鋭」とか「その光」は、

モノを言葉により表現することで

生まれる差異化あるいは差別化を

いうように思いました。

西田先生も言われるように、言葉に

表現する前に、モノから直接感じる

ことがそのモノの実態を表わしている。

「その塵に同ず」は、モノを世界から

言葉で切り取らずに、世界という塵

に置いたままで、モノを直観する。

こう考えると、西田哲学に及ぼした

老子の影響は少なからずあるといって

よいと思います。

「善の研究」は難解と言われていますが、

老子ファンからすると、うなずける点

が多々あるようです。

 

有無相生

 

 

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