老子小話 VOL 984 (2019.09.21配信)

禍福無門

唯人所召

(春秋左伝)

 

禍福は門なし、

ただ人の召(まね)く所

 

今回は、春秋左伝から選びました。

「禍福無門」は4字熟語になっています。

門というのは、外から出入りする所。

でも、幸福や不幸には門がない。

外からやってくるものではないという。

ただ人が招くものだと言い切る。

わかりやすいので、4字熟語になる。

でも、人は自分と他人がいる。

人一般なら、幸福や不幸の判断基準が、

幸福と不幸を決めてしまう意味になる。

困窮のうちに亡くなる人を見て不幸という。

しかし、信念のもとに困窮に耐えた人は、

自分は幸せだったと思うかもしれない。

自分の価値観で禍福は分かれる。

人が自分自身なら、幸不幸の原因は自分が

招くという意味になる。

困窮のうちに亡くなることを不幸と考える

ならば、困窮の原因を国や社会の怠慢に

するのではなく、自分の判断の甘さに求める。

禅語だと人が自になり、「唯自所召」となる。

自分の善行悪行が廻りめぐって、自分に帰る。

こうなると因果応報となり、道徳的熟語に

ふさわしくなる。

老荘的に考えると、人は自他を問わず、

すべての人になってしまう。

そもそも門は、人が定めたもの。

幸福の門、不幸の門も人それぞれですから、

結局、門の実体はありません。

歎異抄では、極楽の門は悪人にも開かれる。

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」

と。

悪人なら因果応報で、極楽の門は閉じられる。

「唯自所召」の結果です。

しかし、悪人こそ必死に自分を捨て弥陀にすがる。

善悪を乗り越えた信心に根ざす。

信心こそが、「禍福無門」に至る道となる。

今回の言葉は、老荘思想と仏の思想のつながりを

ほのめかしているように見えました。

 

有無相生

 

 

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