老子小話 VOL 975 (2019.07.20配信)

天網恢恢、疏而不失。

(老子、第73章)

 

天網恢恢、疏にして失せず。

 

今回は、老子の言葉です。

「天網恢々(かいかい)疎にして漏らさず」

の方が有名かもしれません。

宗教的に見れば、天の網とは、神様の眼の

ようなもの。

神様の眼は、宇宙のすべてに及んでいて、

網の目は粗く見えても、何ものも見逃さない。

神様はどんな悪事も見逃さないので、悪いこと

はできない。

反対に、ひとが知らない所で善行(徳)を積めば、

神様はお見通しで、いずれよい報いが得られる。

天の網は、他人に認めてもらうために善行を

行えと教えるわけではなく、自分と天の関係に

おいて、自分の行為に対する審判を天に委ねる

立場を表わします。

キリスト教でも仏教でも老荘でも、天の裁きを

を信ずる点では同じと言えます。

裁きをあの世で受けるか、この世で受けるかの

違いはありますが。

上の言葉では、「疏」という語が大事です。

人間はとかく独りよがりになりがちです。

いわゆる自己中です。

天の網は世間でよく言われているので、自分も

うすうす気づいているが、網は抜け穴だらけで、

自分には天の報いは及ぶはずはないと考える。

その態度が、「疏」に表れる。

報いが自分に及んで初めて、天の網を実感する。

やはり漏れていなかったのかと。

この実感を誰もが持つのは、自分が死ぬときです。

他人の死を見ても、天の網は他人事です。

歳を重ねるごとに、網の目は次第に狭まっていく。

生きている間に天の報いにめぐり合えなくても、

確実にめぐりあえるのが死ぬときです。

そのとき、死が悪行の報いなのか、善行の報いなのか、

立場は別れますが、後者の実感が持てるようにせいぜい

生きなさいというのが、老子の言葉のようです。

 

有無相生

 

 

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