老子小話 VOL 971 (2019.06.22配信)

夫言死人為帰人、

則生人為行人矣。

(列子、天瑞篇)

 

それ死人を帰人たりと言えば、

すなわち生人は行人たり。

 

今回は、列子天瑞篇よりお届けします。

この言葉は、川合康三氏の「生と死のことば」

(岩波新書)で知りました。

夏目漱石の小説「行人」のもとになった言葉

だそうです。

私の大学時代の恩師の名前でもありました。

人生を数直線で考えれば、誕生が起点で

死が終点です。

起点から見れば、生きることは起点から

次第に離れていく、旅人としての存在です。

一方、終点から見れば、生きることは

終点に次第に近づく、自宅に帰る旅人です。

死ぬと土に帰るといいます。

死んで帰る自宅が大地という自然なら、

生を受けた自宅も大地という自然です。

つまり、起点と終点が同じ、円周上を

回っているのが人生ということになります。

終点である死を迎えて、肉体は朽ちます。

従って、二週目の起点では、肉体の形は

入れ替わって、魂が新たな旅を始める。

生物学的に言えば、子供が生を受けたとき、

自分の遺伝子が子供に引き継がれて、

自分の分身が新たな旅を始める。

死というのを帰人、ひとつの旅を終えた人、

そして、大地という起点に戻った人とする

考え方は、安らぎを与えるものになります。

芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

の句には、旅を終えつつある旅人が、もう

次の旅について夢をはせる様子が表れて

います。

自分も死を迎えたとき、こんな気持ちに

なれれば素敵だなと思います。

 

有無相生

 

 

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