老子小話 VOL 968 (2019.06.01配信)

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、

一粒のままである。

だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

(ヨハネによる福音書、第十二章)

 

今回は、イエスの言葉をお届けします。

イエスは十字架にはりつけになり、

すべての人間の罪を背負って死んだ。

死ぬことで、イエスを信じるものに

永遠の命を与えた。

この言葉を老荘的に解釈してみます。

ひとがこの世に形を得て生まれてきても、

不死を保っていれば、ひとりのままです。

有の状態をずっと保っても、何の進歩も

ない。

生まれて死に生まれて死に、世代交代を

繰り返すことで、進歩が生まれる。

何故なら、引き継いだ世代は、先代の

過ちを客観的にとらえることができ、

新たな進歩につなげられるからです。

有の状態を一度無にして、そこから

あらたな有が生まれる。

哲学的にいうと止揚(アウフヘーベン)です。

有を否定して無にしてあらたな有に昇る。

昭和平成時代は、原子力が日本の電力需要

を満たすと考えていた。

低コストでクリーンなエネルギーが売りです。

しかし、放射能汚染や、廃炉のコストを

考えるとそうでもなくなった。

令和の世代が、先代の過ちをどう克服して、

自然エネルギーにシフトしていくかが、

あらたな進歩です。

イエスの言葉の「死」は犠牲の意味が強い

ですが、老子や荘子は「無」に置き換える。

地上に生まれ有となっても、無に還らないと

あらたな有は生まれない。

 

有無相生

 

 

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