老子小話 VOL 967 (2019.05.25配信)

真の不均斉は共に均斉と不均斉とから

自由になった時にのみ可能なのである。

(柳宗悦、「奇数の美」)

 

今回は、柳宗悦氏の言葉をお届けします。

柳宗悦は、民芸運動を起こした思想家で

有名ですが、茶道論集も出しています。

茶道で名器と呼ばれる茶碗は、無名の

職人が無造作に作った雑器であり、

そこに不完全な美が宿っているという。

不完全であるが故に、そこに作為から

自由になった美がおのずと生まれる。

それを、「奇数の美」と呼んでいます。

奇数は半分にできず、どうしても余り

がでる。

余りが足らざる部分で、それが味わい

を与えてくれる。

かの岡倉天心も「茶の本」のなかで、

「不完全の美」を言ったらしい。

形がゆがみ、肌が荒々しく、くすりに

むらが出たり、キズもあったりする

茶器の「整わざる様」に、茶人は

無量の美を感じた。

しかし、不完全な美ではまだ足りない。

作為的に不完全を作っても、それは

「奇数の美」にならない。

何故なら、意識的に完全を否定する

のは、新たな不自由に落ちる。

柳宗悦氏の言葉は、無意識の結果

生まれた不完全だから、そこに

自然の美しさが生まれるとう。

この美しさは、身の回りにたくさん

見出せる。

かばんひとつとっても、長い間使う

うちに味わいが出てきて、どんな

生活をしてきたのか痛み具合から

想像することができる。

ひとの顔でも、同じである。

美男美女の整った顔より、長い年月

を経て刻まれたしみやしわの顔の

ほうが、「奇数の美」が味わえる。

 

有無相生

 

 

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