老子小話 VOL 966 (2019.05.18配信)

魚行きて水濁る

(禅語)

 

今回は、禅語をお届けします。

禅語はシンプルですが、奥が深い。

魚が静かに水の中を泳いでいる。

魚の体表の水流が波動になって、

水底の土がかすかに舞う。

魚は見えなくても、水の濁りから、

魚の存在はわかってしまう。

この禅語は一体何を語るのでしょう。

過去の痕跡は消せないということです。

何故消せないのでしょう。

その過去を知っている自分がいるからです。

言葉でどう言い訳しても、事実を知っている

自分を欺くことはできない。

自分を欺いたまま人生を終えることは出来ない。

人間誰しも、ひとには話せない過去の過ちを

抱えている。

それを糧に今をどう生きるかで、人生の価値が

決まるようです。

禅語ですが、聖書にあっても不思議ではない。

世間に悪事がばれなくて、自分を欺けても、

神はお見通しで、最後の審判で地獄に堕ちる。

禅語は、池の魚という自然の変化を観察し、

それが黙示する人生の意味を悟った言葉です。

 

有無相生

 

 

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