◆老子小話 VOL
966 (2019.05.18配信)
魚行きて水濁る
(禅語)
今回は、禅語をお届けします。
禅語はシンプルですが、奥が深い。
魚が静かに水の中を泳いでいる。
魚の体表の水流が波動になって、
水底の土がかすかに舞う。
魚は見えなくても、水の濁りから、
魚の存在はわかってしまう。
この禅語は一体何を語るのでしょう。
過去の痕跡は消せないということです。
何故消せないのでしょう。
その過去を知っている自分がいるからです。
言葉でどう言い訳しても、事実を知っている
自分を欺くことはできない。
自分を欺いたまま人生を終えることは出来ない。
人間誰しも、ひとには話せない過去の過ちを
抱えている。
それを糧に今をどう生きるかで、人生の価値が
決まるようです。
禅語ですが、聖書にあっても不思議ではない。
世間に悪事がばれなくて、自分を欺けても、
神はお見通しで、最後の審判で地獄に堕ちる。
禅語は、池の魚という自然の変化を観察し、
それが黙示する人生の意味を悟った言葉です。
有無相生