老子小話 VOL 956 (2019.03.09配信)

散る桜 残る桜も 散る桜

(良寛和尚)

 

「終わった人」という映画を見て、その中で

舘ひろしさんがしみじみ語る句でした。

良寛和尚の辞世の句だそうです。

私も、主人公の気持ちがわかる年齢なので、

他人事ではない感じがしました。

読者の中に受験生がいましたらお詫びします。

桜咲くを祈ります。

人生の春を過ぎて終末期に近づく人間を散る桜

にたとえたのは言うまでもありません。

桜の満開は見事ですが、散るときも移ろいの

美しさがあります。

前者が静の美なら、後者は動の美になる。

日本人には、美しく死を迎えたいという願望が

あるようです。

死を前にして良寛さんは、自分の死を看取る

縁者にそう悲しむものではないという。

あなたたちだって、生れ落ちたときから、

いずれ散る運命にある。

私の死を見て、あなた自身の死を考えてください。

どのように死を迎えるかは、どのように生きるか

に繋がっている。

荘子は奥さんが死んだときに、お盆をたたいて

歌っていた。

弔問した知人が、悲しまないわけを聞くと、

「命は、天地という巨大な部屋から形を伴って

生まれ出たもの。

そして死は、部屋に帰っていい気持ちで寝る

ようなもの。

それを大声で泣いて、自然の流れに逆らえる

でしょうか」と応えた。(荘子至楽篇)

良寛さんも荘子も、自然の大きな流れの中で、

ひとの死をどうとらえるか教えてくれます。

良寛さんの死も荘子の奥さんの死も、自分の

死を見せてくれる。

 

有無相生

 

 

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