老子小話 VOL 951 (2019.02.02配信)

Life's but a walking shadow, a poor player

That struts and frets his hour upon the stage

And then is heard no more.

(Shakespear, “Macbeth”)

 

今日はシェイクスピアの言葉をお届けします。

松岡和子氏の「深読みシェイクスピア」で

出会いました。

「マクベス」に出てくる有名な言葉です。

「すべての昨日は愚かな人間が死に至る道を

照らしてきた。」に続く言葉です。

人生を空しい芝居を演じる舞台と考えます。

「人生はたがが歩く影、哀れな役者だ、

出場の間は舞台で大見得を切っても、

袖へ入ればそれきりだ。」

人生は過去、現在、未来へと続く道。

過去から光が射さしているのが印象的です。

その光は今にも消えそうなろうそくの光。

後ろから照らされる影はぼうっとして、

ゆらゆら揺れている。

人生という道を歩く姿は、まるで未来の死に

向かって、歩いている影のようだといいます。

シェイクスピアの言葉は、よく考えて言葉を

選んでいて臨場感があります。

影を引きずり舞台を歩き回っている人間は、

哀れな役者。

哀れといわれても、舞台の上で思う存分

演じられるなら、それもありがたいこと。

舞台から消えれば、すぐに忘れられる。

こんな言葉を聞かされると、生きることが

身も蓋もなくなりますが、限られた時間の中

で思い切った芝居ができるなら、それもまた

幸せなこと。

荘子にも、尾を泥中に曳く亀の話がある。

王様に仕官を求められた荘子が、それを断る。

尾っぽを泥の中で引きずっていても、

生きていることを選ぶ。

影を引きずる役者と重なります。

仕官すれば、人生(亀生)に束の間の光が

射すかもしれませんが、それも空しい光。

その光に導かれるのは、いずれ殺され、

占いのために甲羅を焼かれる死への道。

今という舞台で自由気楽に暮らすほうが

よっぽどよい。

不思議とシェイクスピアの言葉と荘子の

亀が繋がってきました。

聞き手に人生を客観視させることで、

人生に何が大切かを気づかせてくれます。

 

有無相生

 

 

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