老子小話 VOL 946 (2018.12.29配信)

物無非彼、物無非是。

自彼則不見、自知則知之。

(荘子、斉物論篇第二)

 

物は彼れに非らざるは無く、

物は是れに非ざるはなし。

彼よりすれば則ち見えず、

自ずから知れば則ち之を知る。

 

「災」が今年の漢字になりましたが、

個人的にも足の怪我や熱中症を経験し、

「災」と言いたいところですが、あえて、

「覚」を今年の漢字に選びます。

「覚」は気づく、つまり知ることです。

そこで今年最後の言葉は、荘子斉物論篇より

選びました。

「物にはあれこれという区別はない。

物をあちらに追いやってしまうと、

すなわち見えなくなり、あれこれの区別を

取り払ったとき、物は見えてくる。」

あれこれと区別をするのは、物を認識する人間です。

「災い(禍)を転じて福と為す」という言葉があります。

禍福の区別をするのは人間です。

人間の価値観に従って禍福の区別をしますが、

自然界にはそのような区別は存在しません。

足の怪我も熱中症も、体が酷使する主体に対して、

悲鳴をあげている現象と考えることができます。

それに気づくと、もう「災い」とは呼べません。

この悲鳴に耳を傾けて、体を休めるしかありません。

今年は世界各地で自然災害が多かった年でした。

気候変動の原因を突き詰めていくと、人間の活動が

影響していることに気づくかもしれません。

あちらに追いやっていた災害は、こちらが引き金に

なっていたと自覚する。

老荘の言葉は、本質をとらえる言葉が多いですね。

では、よいお年をお迎えください。

 

有無相生

 

 

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