老子小話 VOL 942 (2018.12.01配信)

人は生が眠るとき、死が目覚めると

思っている。

しかし、その取引において、

生が眠るとき死も眠るのだ。

(森敦、「初真桑」)

 

今日から師走に入りました。

一年を終わろうとする時期になると、

よく今まで生きてこられたなあという

感慨が湧いてきます。

本棚でほこりを被っていた「月山」という

本を読み始め、この言葉に出会いました。

30年近く本棚に眠っていた本で、ページも

日に焼けて茶色になっていました。

買った頃は、読んでもピーンときませんでした。

年を経て読んでみると、心に触れる箇所が多々

あるので、積読も価値があると思っています。

読みたいときには本は売っていないのが、今の

時世です。

前置きはそれくらいにして、言葉を味わいます。

生が終わりを告げたとき、死が訪れると通常は

思われています。

しかし、生が終わるとき、死も終わるといいます。

どんな取引があってそうなるのでしょう。

実は、生きているときもそれを知ることはできず、

死を迎えたときを想定し、生を振り返ることで、

生を知ることができる。

私ができるのは、私の頭の中で生み出した死との

対比において、生を明らかにすることです。

死生観を持つことで、自分の生き方は変わり、

生き方が変わることで、死後の世界も変わる。

死後を環境汚染のない世界にしたいと思えば、

生きている今から環境にやさしい生き方をする。

昔の人も、死後に極楽浄土に行きたいから、

生きているときは、善行を積み悪行を慎んだ。

普段描いている「頭の中の死」は、小説では

「もどき、だましの死」と呼んでいます。

その死を得ようとして、生き方を選択する。

その意味で、「頭の中の死」を持つことは、

生きている証かもしれません。

生が眠るとき、死も眠る。

生が終われば、「頭の中の死」も終わる。

これは当然です。

もう一つの意味は、死後の世界を見据えた

生き方をしないことを「生が眠る」という。

その結果、死後の世界は変わらない。

慰安婦問題、徴用工問題とお隣の国は、

過去にこだわります。

我々の死後の日韓関係をどのようにすれば

よいのか、前向きな視点が欲しいところです。

友好と平和と発展を持続するために、今何を

すべきなのか。

これが生を眠らせない、生き方でしょう。

過去へのこだわりは、未来を眠らせます。

 

有無相生

 

 

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