◆老子小話 VOL
921 (2018.07.07配信)
心虚則性現。
不息心而求見性、如撥波覓月。
(菜根譚)
心虚しければ則ち性現わる。
心を息めずして性を見んことを求むるは、
波を撥(ひら)きて月を覓(もと)むるが如し。
今回は菜根譚をお届けします。
「心が空虚になれば、自ずと自分の本性が現れる。
心を動くままにしておいて本性を見ようとするのは、
波をかきわけて、水面の月を探すのと同じである。」
自分とは何者かと考える場面が人生には訪れる。
幼いときも大きくなってからも。
幼い頃兄弟げんかで自分が叱られたとき、
何故叱られたのか、自分の立場を自問する。
大きくなると、他人と自分の違いを意識しだし、
何故今の自分に至ったのか、自分の歴史をたどり、
何者かを知ろうとする。
激動の渦中で心が揺れ動いているときは、自分が
何をおかしているのか見えていない。
この状況を「自分で波立てておきながら、必死に
水面の月を求めるさま」に菜根譚はたとえる。
昨日、元オウム幹部死刑囚7名の死刑が執行されました。
死刑が確定してから、各死刑囚が自分とは何者だったのか、
見つめなおす時間があったと新聞記事にありました。
いくら後悔しても罪を償うことはできませんが、最後に
自分は何者だったのか問い直す機会を得る。
拘置所の環境は、心を空虚にしてくれる環境です。
自分が何者か、あの時見えていたら、あんな大罪は
は犯さなかっただろうと気づきます。
どんな場面でも心が揺れ動いていると、水面の月は
揺らいで見えます。
一度渦中から身を退くことで、心を落ち着ける。
身を退くことをオウムという信仰が許さなかった
としたら、それは本当の信仰ではないでしょう。
菜根譚の言葉は、人生の岐路に立つときだけでなく、
日常の場面で、自分を見つめ直す大切さを教えます。
有無相生