老子小話 VOL 893 (2017.12.23配信)

So do not worry about tomorrow,

for tomorrow will bring worries of its own.

Today’s trouble is enough for today.

(New Testament, Matthew 6:34)

 

だから、あすのことを思いわずらうな。

あすのことは、あす自身が思いわずらうであろうから。

一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

(マタイによる福音書)

 

「明日は明日の風が吹く」と言いますが、聖書では

上の言葉で言うようです。

「風」は悩みだったり苦労だったりします。

思いわずらわない理由が面白いですね。

明日は、明日自身の苦労を運んでくる。

明日になってみないと、明日どんな苦労が

待ち受けているかわからない。

今日の苦労は今日一杯で沢山だ。

ですから、聖書的には、

「明日は明日の苦労がやってくる」

というもので、風向きが変われば、明日はいい風が

吹くかもしれないという希望的観測を排除します。

変な期待を抱かず、その日その日の苦労を何とか

乗りこえ、今日の苦労を明日に引きずらない。

砂漠の一神教はとにかく現実的です。

思いわずらうことができるのは命があるからです。

その命が絶対神より与えられているのに、何を

食べようかとか、何を着ようかとか悩んでいる。

今日を生きて終えられていることに感謝しなくて

はいけない。

明日生きられるかは、絶対神の意のままにある。

ここは老子と考えが同じようです。

「萬物を以って芻狗と為す。」(老子第五章)

芻狗は「わらの犬」で、祭りのために作りますが、

祭りが終われば焼き捨てられる。

道も絶対的存在で、万物の命を「わらの犬」のように

作っては壊し、次々と交代させる。

明日の命を考えること自体がおこがましい。

今日の苦労は今日の命あっての苦労なんだから、

苦労を味わえることが絶対神の恵みを意味する。

日本みたいな文明社会に生活していると、その恵み

をいつの間にか忘れている。

聖書や老子の言葉は、現代人がいつの間にか忘れて

いる現実を思い出させてくれる。

 

有無相生

 

 

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