老子小話 VOL 890 (2017.12.02配信)

人但莫知当死之日。

故不暫憂耳。

(抱朴子、勤求篇)

 

人は但だまさに死すべきの日を知るなし。

故に暫くは憂えざるのみ。

 

今年ももう師走を迎えました。

師走になると、今年も無事に生きられたという

思いがわきあがります。

まだひと月あるので無事かどうかわかりませんが。

今回の言葉は、川合氏の著書「生と死のことば」

(岩波新書)より拾いました。

「ひとはいつ死を迎えるかわからない。

だから、当面心配せずに生きられる。」

万葉集で山上憶良がこの言葉を引き、

「死刑囚が死罪を免れるために、足きりの刑や

鼻きりの刑でも喜んで受け入れる」

と言ったそうです。

そう思うと、我々は皆死刑囚と同じです。

生まれたと同時に死を宣告されています。

宣告されたことを忘れているから、毎日

心配せずに楽しく生きられます。

死刑を執行される日がわからないのは、

囚人の場合と同じです。

囚人と違うのは、執行するのが他人(国家)

か自然かの違いです。

自分が死ぬ日を知らされると、人は心配する

のでしょうか。

特攻隊員が出撃の日を知らされると近親者と

面会をします。死んだ後のことを託すために、

思いを家族に伝えます。

無念の気持ちは残りますが、観念します。

自分の場合を考えると、いつ死ぬか意識して

いないから、今日を安らかに生きられるのは

間違いないことです。

しかし、死ぬ日を宣告されれば、悩む前に

残された時間でやるべきことを考えます。

墜落する飛行機に乗り合わせれば、家族に

残す言葉を真剣に考えます。

すなわち、死を迎える日がわかったとしても、

死ぬまでにできる限りの用事に時間を当てる

ので、心配する暇はないと思われます。

とすると、抱朴子の言葉は、

「死を意識しないから、余裕をもって色んなことに

チャレンジできる」とともに、

「いつ死ぬかわからないから今日を大切に生きる」

という2つのメッセージを語るように思われます。

 

有無相生

 

 

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