老子小話 VOL 886 (2017.11.04配信)

生者仮借也。仮之而生。

生者塵埃也。死生為昼夜。

(荘子、至楽篇第十八)

 

生は仮借なり。之を仮りて生ず。

生は塵埃なり。死生は昼夜たり。

 

秋も晩秋に近づきました。

人生も秋に近づくと、死生について感慨を新たにします。

今回は荘子の死生観をお届けします。

「人生は借り物である。

いろいろ借りものして生きているに過ぎない。

生命は塵のようなもので執着するに及ばない。

塵から生命が生まれ、生命が塵に帰っていく。

従って、死生の変化は昼夜の移り変わりと同じである。」

中国の詩人李白が、「天地は万物の逆旅」と言いました。

逆旅(げきりょ)とは宿屋のことで、人も束の間、この宿屋

に仮住まいしている、はなかい存在であると考えました。

荘子の言葉に通じるものがあります。

40歳を過ぎると人生の半分が終わり、秋に差し掛かり、

60歳を過ぎると冬の到来となります。

冬と聞けば冬ごもりを連想し、すべてが守りの生き方に

なりがちですが、荘子の言葉を前向きに受け取ることも

できます。

そもそも人生は借り物である。

自分ひとりでは何もできないから、いろいろな人から

助けを借りて、これまでやって来れた。

塵に帰るまでのこの先、どんな借り物をして自分を

作り変えていけるか楽しみであると。

荘子の言葉は、至楽篇という章に書かれています。

至楽は人生最上の幸福ですから、晩秋も冬も、考え方

次第で極楽になるという意味合いがこめられます。

人生うまく行かないからって、宿屋に文句をいっても

始まりません。塵の存在が互いに力を出し合って、

愉快な仮住まいを送る方がずっと幸せに近づけます。

終局までの時間をどう充実させるか、知恵の絞り所です。

 

有無相生

 

 

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