老子小話 VOL 854 (2017.03.25配信)

子曰。性相近也、習相遠也。

子曰。唯上知與下愚不移。

(論語、陽貨第十七)

 

子のたまわく、

性相近し、習えば相遠し。

子いわく、唯だ上知と下愚とは移らず。

 

今回は孔子の言葉をお届けします。

「生まれつきは似通っているが、

しつけでへだたる。

しつけで良くも悪くもなるが、

とびきりの賢者ととびきりの愚か者は、

永遠に変わらない。」

確かに、生まれるときは誰でも無垢で生まれる。

習いとは後天的に身につける習慣や教養。

それによって人間は隔たってくるのは経験済み。

でも、とびきりのすぐれものはてっぺんまで

到達しているので、伸びしろは少ない。

また、とびきりの愚者は学習効果がないので、

いつまでたっても伸びない。

孔子は、この言葉で何を言っているのだろうか?

ふつうのひとは、賢者でも愚者でもないので、

習いによってまだまだ伸びる余地がある。

と、ポジティブに考えたい。

高齢者になると、忘れる一方で学習など効果ないと

あきらめ気味になるが、それでも手習いをすること

で成長できると孔子は勇気づけてくれる。

中高年は、習いの差で格差を生じることを一番実感

している世代である。

学校での習いより、現場での習いが成長を加速する。

青少年はスタート地点に近いから、格差はそれほど

大きくなく、習いの習慣が将来を決める。

習いは学校の勉強だけでなく、マナーやモラルを含む。

朝のあいさつから、感謝の言葉、公共の場を汚さない

など、社会生活の多岐にわたります。

大人になっても、習いが身につかないひとはいる。

そういう人を下愚と孔子は呼ぶ。

習いをあきらめた人が政治を行うと、衆愚政治になる。

移民の労働力で経済復興した過去を学ばずに、移民の

閉め出しを唱えるのは、衆愚政治の典型です。

知識で格差がつくのは止むを得ませんが、人間として

最低限守るべきマナーやモラルで格差がつくことは、

避けなければならないでしょう。

社会生活そのものがぎすぎすしてきて、ありえない方向に

政治が先導される危険さえ生むことがあるからです。

 

有無相生

 

 

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