老子小話 VOL 839 (2016.12.10配信)

愛するもののために命を捨てること、

これ以上の愛はない。

(新約聖書、「ヨハネによる福音書」)

 

曽野綾子氏の「心に迫るパウロの言葉」より、

この言葉を知りました。

12月になると、クリスマスが近づきます。

クリスマスはキリストの降誕を祝う祭りです。

キリストは全ての人の罪を背負って十字架に

かけられました。

母親が瞬間的にわが子をかばうことで、

子供だけが奇蹟的に生還する場合がある。

まさに愛する子供のために命を捨てた母親の愛

はこの言葉に当てはまります。

しかし、キリストは肉親でなくても全ての罪人

のために命を投げ出しました。

つまり人間では到底できない愛のかたちを体現

しました。

ひとは皆生まれながら重荷を背負っており、

その重荷を互いに担い合うのがひととして

成しえる愛のかたちであると思われます。

罪の無い人はいないというのが愛の原点です。

クリスマスは宗教の枠を超えて皆祝いますが、

キリストの運命に思いをはせ、その愛の意味を

考えるのもひとつの機会ではないでしょうか。

老荘思想には「愛」という概念はありません。

「天地は仁ならず、万物を以て芻狗と為す。」

(第5章)にあるように、道には仁愛はなく、

われわれは「わらの犬」のように扱われます。

「わらの犬」は道との関係では孤独ですが、

その孤独な存在がどのように助け合うのが

いいのか教えるのが、儒教だったりキリスト教

だったりします。

母親が自分の命を犠牲に子の命を救うのは、

動物の世界では日常茶飯事です。

ライオンに襲われそうな子のシマウマを救うため

母親が身代わりとしてライオンの餌食になる。

宗教を持ち出さなくても愛は示される。

ところが人間は、成長につれていろんな知恵や

欲を身につけて、罪深き存在に変わる。

動物界の本能的な自己犠牲はままならない。

その重荷を背負った者同士が生きていくには、

キリストの愛を受け、その愛の一部を周囲と

分かち合うしか道はない。

無償の愛という媒介を用いて苦難を乗り越える

のがキリストの教えの根本にあるようです。

クリスマスにこの愛の施しや施されがあらんこと

を祈りたいものです。

 

有無相生

 

 

戻る