老子小話 VOL 826 (2016.09.10配信)

彼出於是、是亦因彼。

彼是方生之説也。

(荘子, 斉物論篇)

 

彼れは是れより出で、

是れはまた彼れに因る。

彼れと是れはまさに生ずるの説なり。

 

今回は、荘子より言葉を拾いました。

自分の外に世界が広がるという見方を変えて、

自分と世界は渾然一体であり、世界も自分が

作り出しているという見方をしてみようという

お話です。

「彼れ」は英語のthatで「是れ」はthisです。

自分から見て遠くのものは、「あれ」といい、

近くのものは「これ」といいます。

自分が静止していれば、「あれ」と「これ」の

関係は変わりません。

しかし自分が動けば、「あれ」であったものが

「これ」に変わり、「これ」であったものが

「あれ」に変わります。

つまり、「あれ(彼れ)」と「これ」の関係は、

相並んで生ずるもので、互いに依存している。

自分が見る世界も、自分の立ち位置が変われば、

違って見えてくるでしょう。

つまり、世界を「あれ」「これ」と区別する

自分が世界を作り出していることになります。

核実験に精を出す北朝鮮や南シナ海で海洋進出

を図る中国にしても、国際ルールを無視して、

米国や日本に対して、対抗意識をむき出しに

しています。

しかし北朝鮮も中国も、ルールを守る国際世界に

踏み込めば、被害者意識は消え、世界は違って

見えるはずです。

確かに朝鮮戦争の経験から、北朝鮮も中国も、

米国を反共勢力とみなし、日本もその手下と

考えているでしょう。

「あれ」を反共圧力と考え、軍事力で対抗する限り、

国際社会からの信用は得られない。

「あれ」「これ」の図式を変え、「あれ」「これ」が

渾然とする多様性の国際社会に踏み込めば、周囲の

尊敬を得られるように思います。

このように優れた荘子の思想は中国から生まれた

にもかかわらず、中国はその歴史遺産をなぜ手本に

しないのか本当に疑問です。

世界を「あれ」「これ」と区別する限り、自分自身も

見えてこない。

荘子の言葉にはそんな深い意味があるようです。

 

有無相生

 

 

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