老子小話 VOL 823 (2016.08.20配信)

得者時也、失者順也。

安時而処順、哀楽不能入也。

(荘子、大宗師篇)

 

得るものは時なり。

失うものは順なり。

時に安んじて順におれば、

哀楽も入るあたわず。

 

夏の歩道を歩いていて、

蝉の死骸を見つけることがあります。

暑い日中の思い切り鳴いて、

美しい姿のまま、路上で命を落とします。

その死に様は人間の理想のように思えます。

山田風太郎氏も「死言状」の中で、

「人間も虫けら一匹と同様で、死に場所が

どこであろうと、そこが草葉の世界である。

そう考えた方が安心立命の境に達せられる。」

と申されています。

荘子の言葉を借りれば、

「ひとがもらったものは生きる時間である。

そして命を失うのは順番が来たからである。

与えられた時間を精一杯生き、

その順番に従っていれば、

悲しみも楽しみも入る余地のない、

安らかな境地になる。」

なぜ蝉は命と引き換えに鳴くのでしょうか。

調べてみると、オスがメスに自分の居所を

知らせるために鳴いているのです。

自分の子孫を残すために自分の命を懸けています。

生きる時間を与えられた人間は、その時間を

どのように使おうと自分の選択に任されます。

蝉のように子孫を残すために頑張れとまでは

言いませんが、死に際に精一杯生きたと言える

ように、与えられた時間を使いたいものです。

死の順番は生まれた順番には従いません。

死はいつやってくるかわかりません。

今という時間を大切にする生き方が、荘子の言葉の

意味する生き方のようです。

夏の終わりに近づくと、蝉の一生に自分の一生を

感じ、蝉のような生き方ができているのかという

感傷的な気分に陥る機会もありました。

荘子の言葉と、「死言状」の言葉と、蝉の死骸が

与えてくれたメッセージをお届けしました。

 

有無相生

 

 

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