老子小話 VOL 805 (2016.04.16配信)

風に聞け何れか先に散る木の葉

(夏目漱石)

 

今回は、夏目漱石の俳句をお届けします。

夏目漱石は今年没後100年ということで、

文庫本が店頭に並んでいます。

「こころ」や「坊ちゃん」で有名ですが、

今の人には縁遠いかもしれません。

漱石は正岡子規に俳句を学び、「愚陀仏」という

俳号を持っています。

今回の句は、半藤一利氏の「漱石俳句探偵帖」

(文春文庫)で見つけたものです。

この句を見て、オー・ヘンリーの「最後の一葉」

を思い出しました。この小説では、

枯れかけたツタの葉が全部散ったときに自分は

死ぬと主人公は思いました。

漱石は、ひとそれぞれの命は木にぶら下がっている葉

のようなもので、その葉が落ちると死に至るという

イメージを持っています。

その葉を落とすのは風で、いつ落ちるか決めるのは

風の気まぐれです。

だから自分がいつ死ぬかは風に聞いてくれという。

漱石が修善寺で生死の境をさまよっていたとき、

耳元で聞こえていたのは、風の音だったかも知れません。

この死を前にした心境は、芭蕉辞世の句にも見えます。

「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」

木枯らしに飛ばされる木の葉は夢に変わります。

この葉は風によってすでに木からもぎ取られ、

生を離れ冥界の旅に出ようとしています。

夢は来世への夢であり、魂そのものです。

漱石の句はまだ生の世界で死を待つ立場で、

芭蕉の句は死後の世界を浮遊する立場です。

共通点は、風が行き先を決めています。

自分の生死を風にゆだねることができれば、

どんな生き方だってできると漱石の句は

語っているようです。

 

有無相生

 

 

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