老子小話 VOL 799 (2016.03.05配信)

「知」は色眼鏡のようなもので、

その色に邪魔されて、本当の色は見えぬ。

(柳宗悦、「仏教美学の悲願」)

 

今回は、柳宗悦氏の論集「美の法門」(岩波文庫)

より言葉を拾いました。

私たちは、美術館に行って有名な画家の絵を

見るときがあります。

絵の美しさを感じる前に、画家の紹介や、

絵の描かれた時代的背景や絵の鑑賞ポイントを

読んでから絵の前に立つとします。

事前学習を行えば、絵の理解が深まるからです。

しかし柳宗悦氏は、先に「知」が働くと、

それだけ見えにくくなる、といいます。

美は頭で知るより眼で見ることで深く理解できます。

美は直観で理解できる。

知識は分割で、直観は統合という。

絵の事前学習の「知」は、他人の眼から見た分析です。

美しさの起源を多面的な視点で解説してくれます。

しかし、そういった知識は、サングラスをかけて

美を見るようなもので、自分自身が感じる美の理解

には却って邪魔になります。

仏像の美しさを解説書でいくら読んでも、本以上の感動は

得られないわけで、仏像を間近に見て、その美しさをどう

直観できたかが、自分の「知」になりえるわけです。

まさに恋人選びの場合と同じです。

恋人候補を前に、事前学習で得た情報に基づいて、

容姿や性格や経済事情を多面的に可能性を分析します。

顔はいいけど背が低い。

性格はいいけど収入が少ない。

いくら分析しても、本当のよさはわからない。

個々の短所長所は抜きにして、総合的にどう直観できるかで、

本当のよさを知ることができる。

それでは、直観力はどのように養えばよいのか?

いろんな失敗を乗り越えて磨かれる。

そこまでは柳宗悦氏は言っていませんが、

老子も、「学を絶てば憂いなし。」(第20章)と語る。

分析を深め知識が増えると心配ごとが増える。

無心の状態でありのままを観れば、心配は消える。

本当のよさ(美)がわかるのは自分だけでよい。

何故なら、そのよさとずっと付き合っていくのは

自分だからである。

 

有無相生

 

 

戻る