老子小話 VOL 797 (2016.02.20配信)

動物のシンボルが頭だとすれば、

植物のシンボルは胃袋であろう。

(赤瀬川原平、「新解さんの謎」)

 

たまたま書店で見つけた、国語辞典の謎を語る本から

お言葉を拝借しました。

新明解国語辞典の第二版は私のPC机の上にもある。

この辞典が言葉の異色な定義をすることを語ります。

確かに蛤を引くと、「食べる貝として、最も普通で、

おいしい」とある。

最も普通でおいしいかどうか、個人の見解である。

あさりやしじみの方がおいしいという人もいる。

お届けするのは本の中身より、赤瀬川氏の植物を見る

眼の面白さです。

植物の胃袋とは、栄養を吸い上げる「大地」です。

動物は胃袋を抱えて大地を動き回り、頭脳を発達させる。

そのうち、すべて頭脳で考えるようになる。

一方、植物は胃袋が大きいから動かず、ひたすら生えてくる。

にょきにょき、もじゃもじゃ生える様子が、新解さんが言葉を

紡ぐときの魂に似ているという。

自然と湧いてくる生命力のようなものか。

大地を胃袋にするから、樹木は何百年も生きることができる。

胃袋は大きいから、どんな大木も根には細かな根毛が生え、

大地から水と養分を目一杯吸収しようとする。

切っても切っても新たな芽が生えるように生命力の力強さがある。

しぶとさを胃袋にたとえた所が凄い。

生命の進化は胃袋から頭脳への進化であるけれど、生きる基本は

胃袋にある。

老子も「腹を為して目を為さず。」(第12章)という。

胃袋を満たして腹がすわれば、目で追い求め悩むこともなくなる。

植物にならえば、胃袋を満たすことは天地の恵みを誠実に

命の維持に活かすことと同じである。

長生きするのは、天地の恵みに足るを知るからである。

赤瀬川氏の言葉から、老子を思い返す機会を得ました。

 

有無相生

 

 

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