老子小話 VOL 793 (2016.01.23配信)

上雨水沫至、欲渉者、待其定也。

(孫子、行軍篇第九)

 

上に雨ふりて水沫至らば、

渉らんと欲する者は、

その定まるを待て。

 

今回は、「孫子」よりお届けします。

「上流で雨が降って川が泡だって流れているときは、

渡ろうとするなら、川の流れが落ち着くのを

待ってからにする。」

というごく当たり前のリスク回避の教えです。

いろんな事件や事故が一度に重なると

ひとはあわてて行動に移りますが、

乗り切ろうとするなら、ひとまず落ち着いて、

流れがおさまるのを待つほうが良い結果を

もたらすのは時々経験することです。

乗っていた電車が人身事故のため駅で動かなくなる。

車掌のアナウンスは別の路線を使うことをすすめる。

皆電車を下りて、隣のホームに急ぐ。

隣のホームもひとで溢れ、駅を出てバスやタクシーを

使おうとするひとは改札口に殺到し、大混雑となる。

そのうち、止まっていた電車が動き出す。

車掌は足止めされる時間を長めにいうものだから、

乗客は慌てて動き始める。

皆がいっせいに同じ行動をとるので、電車を下りて

足止めされる時間のほうがよっぽど長くなる。

孫子は、ほとぼりがさめるまで待ってみようという。

老子第23章で、

「瓢風は朝を終えず、驟雨は日を終えず」という。

つむじ風は午前中吹き荒れるはなく、

ひどいにわか雨は一日中続かない。

荒れた天気の中を出かけるのではなく、

あらしが過ぎ去ってから出かけようという。

それをまとめると、「希言自然」である。

自然は多くを語らない。

そのかすかな言葉に耳を傾けて行動を選択する。

川を渡ろうとする者は、上流の大雨は知らない。

わかるのは、川が泡立っていることだけである。

その泡立ちが希言であり、希言から異変に気づき、

異変が去るのを待って川を渡る。

孫子と老子の共通点は、自然の希言が聞き取れる

耳が身の危険を回避してくれるというもの。

病の始めにおいて、自分の体は黄信号を発する。

それを放っておくか否かで病の重さが決まる。

自然の希言はそれだけ大切なものである。

 

有無相生

 

 

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