◆老子小話 VOL
785 (2015.11.28配信)
不幸や苦痛は
それがどんな種類のものであれ、
人間に孤独感を同時に与えるものだ。
(遠藤周作、「満潮の時刻」)
遠藤周作氏は今の人にはなじみが薄いかも
しれないが、私の世代には狐狸庵先生で
知られる作家でした。
今回の言葉は、結核に侵され三回も手術を受けた主人公が、
病院の世界と日常の世界を比べつつ、新たな発見を
していくという氏の小説から選びました。
親知らずの虫歯の痛みは本人しかわからないほど
ひどい、脳みそに届く痛みです。
その苦痛で転げまわっている本人の横で
テレビを見て笑っている人がいると、
「何で自分だけが苦しむのか?」と思います。
親知らずよりもっと重い、がんや難病にかかると、
苦しみより孤独感が生まれ、孤独感が苦しみを
増すようになります。
私も入院の経験があるので、この本に共感できる
所が多かったように思います。
患者はお医者さんに命を預けるのですが、
お医者さんも医療に100%の自信があるわけでなく、
ときには経過を見守るしか手がなく、気休めの言葉
をかけるしかない場合もある。
そのとき、誰かが苦しむ患者の手を握ってあげる。
すると、その苦痛が手を通して相手に伝わり、
苦痛が分かち、孤独感もいやされていく。
つまり、上の言葉には続きがある。
幼い子供がころんで泣きはじめたとき、
「いたいのいたいの飛んでいけ〜」といいながら
すりむいた膝をさすってあげれば、痛さがやわらぐ
のと同じ効果のようです。
ひとも言葉を持つ前は動物だったわけで、
動物の共感の表現は皮膚的接触でした。
イヌが人の顔をなめるのは、恭順の表現といわれます。
苦しみの前に抱く孤独感を認識した上で、
それを乗りこえるには皮膚の触れ合いが大切なのは、
ひとになる前の存在に立ち返るという道の基本に
通じるものがあります。
有無相生