老子小話 VOL 784 (2015.11.21配信)

夫大塊載我以形

労我以生

佚我以老

息我以死

(荘子、大宗師篇)

 

夫れ大塊は我を載するに形を以ってし、

我を労するに生を以ってし、

我を佚(やす)んずるに老を以ってし、

我を息(いこ)わするに死を以ってす。

 

荘子の大宗師篇より、「人が生きる」とは

どういうことか、を道の立場から説いた言葉を

お届けします。

大宗師とは、大いに尊ぶべき師、すなわち道です。

「この天地自然の道が、私を載せるに形を与えてくれ、

私を働かせるために生命を与えてくれ、

私を楽しませるために老年を与え、

私を休ませるために死を与える。」

天地が私に与えてくれた形は肉体(容姿)のことで、

それはこの世で生きていく母体になる。

形だけではこの世で働くには足りず、生命も与えてくれる。

この「生」には、生命のみならず、心身を労して、

この世のために働くという意味が込められる。

働いてばかりいると心身が疲れるので、道は老いの楽しみを与える。

老年になれば体は動かなくなりますが、心はまだ元気なので、

人と交わる楽しみに心が向くようになる。

更に歳をとると知人も皆他界し、心の安息を求めるようになる。

自然の道も、「もうそろそろ休んで床につこうか?」と声をかける。

人は、道より形と生を受け、この世のために働いたあと、

道にすべてを返し眠りにつく。

この人生観に対し現実は、少子化で年金破綻し、死の直前まで

働かないといけないようになりました。

とすると、荘子のように、年老いてから楽しみを求めるといった

悠長なことはいっておれなくなりました。

若いうちから、働きながら楽しむというライフスタイルを身につけ、

死の直前までそれを続けるのが、道にかなった生き方のようです。

ただ荘子のいう生き方が、一番生き物に無理のない生き方である

のは間違いありません。

 

有無相生

 

 

戻る