老子小話 VOL 783 (2015.11.14配信)

民多利器

国家滋昏

(老子、57章)

 

民に利器多くして

国家ますます昏(くら)し

 

老荘の話が少ないとお思いの方もおられる

と思うので、この言葉をお届けします。

最近、「歩きスマホ」で有名なスマホは、

文明の利器の一つで、どこにいっても

老いも若きも、じっと端末を見続けるという

光景が見受けられます。

電車でひっきりなしに指で画面を打ち続けるゲーム狂。

ひとの迷惑を気にせず両肘を突き出し、画面に見入る

がっしりとした会社員。

歩きながらスマホをやって、他人にぶつかるOL。

みんな他人の迷惑を感じずに、自分の好きなことに

没頭している人間です。

総務省はスマホ料金を下げることばかり注目していますが、

スマホのマナーについては何も言及しません。

わたしも毎日の通勤で、スマホの両肘問題に迷惑している

ひとりです。

スマホに没頭してネットの空気は読めても、もっと身近な

自分の周囲の空気が読めない人が増えているのは事実です。

老子は、

「国民に文明の利器が普及すると、国はますます昏迷する。」

といい、まさにその状況が今訪れています。

本を読む人が減少する理由は、本を読む時間がないためという。

本当の理由は、その時間をスマホに使っているだけです。

なぜそうなるのか? 

人間は便利さを追求して機械を生み出しますが、次第に、

機械の奴隷、つまり機械に使われるようになるからです。

利器とのうまい付き合いは、「限られた時間の中で」便利さを

享受することです。自分の生活のすべてを利器に捧げるという

いう愚かさを棄てることです。

荘子の天地篇にも「はねつるべ」の話があり、便利さの虜に

なると、人間にそもそも備わっていた、自分の身体で体験し、

自分の頭で考えるという本性が失われていく危険を説きます。

本性の喪失は国の将来の大きな問題ですが、マナーの喪失は

当面の問題です。

総務省は、スマホのバナー広告に、「あなたのスマホ・マナーは

大丈夫ですか?」を載せてもよいような気がします。

自分しか見えない人が世に増えている今、周りにどんな迷惑を

かけているか教えてあげるのも小さな親切でしょう。

 

有無相生

 

 

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