老子小話 VOL 773(2015.09.05配信)

もともと道は一歩一歩の点々が

踏み固められた故にできた

線なのである。

(幸田文、「崩れ」)

 

この道に関しての幸田文氏の言葉は

感慨深いものがある。

先人が作ってくれた道を見ると、

線でつながった道になっている。

そんな道しか通らないから、

道といえばつい、線を思い浮かべてしまう。

しかし、自然は洪水や土砂崩れにより、

たえず道を消し去ってしまう。

そもそも、山にも野にも道はなかった。

いろんな危険を冒しながら、先人が

一番無難なルートを一歩一歩踏み固めた

結果が道として残ったにすぎない。

山に登るとわかるが、鉄砲水で道が崩れると、

足場の堅いところを選んで新たな道が生まれる。

それも一本でなく、いろんな道が分岐する。

そこを通った人の思考と選択が道に現れる。

老子は、道は常に変化し不変の道などないという。

「道の道とすべきは、常の道に非ず。」(第一章)

自然の真理を見つけたひとは一歩をしるす。

別の真理を見つけたひとは別の一歩をしるす。

その一歩一歩が重なって、道となる。

道からはずれた一歩は、新たな道を作っていく。

先人の道にならった人は歴史に名は残らない。

先人の道を否定して道を切り開いた人は名が残る。

どちらが幸せかは一概に言えないが、一度限りの

人生と思えば、凡人でも、たまには外れた道を歩んで、

新たな発見をするのも悪くない。

 

有無相生

 

 

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