◆老子小話 VOL
763 (2015.06.27配信)
すべて味わう者は、樹にとって果実が
肝腎なのだったと思う。
ところが樹に肝腎だったのは種子である。
ここにあらゆる創る者と味わう者の相違がある。
(ニーチェ)
いろんな場面で思い出される言葉です。
創作家が世に出した作品を鑑賞する側にとって、
作品の出来が作品の価値を決めると考えます。
出来上がった作品を眺めて、ここがよい、
あそこが悪いと、果実の価値を語るのが、
批評家の仕事です。
でも作品にとって大事だったのは、生まれる動機、
無から有を生む創作の葛藤であったわけです。
出来たものをあれこれ言うのは誰でもできますが、
何もないところから作品を生むのは、大変な努力
と苦労を伴います。
身近な場面では、幼児が母親の顔を描いた絵を見て、
似ているとか似ていないとか作品の評価を言う前に、
どんな所が難しかったとか楽しかったとか、創作の
プロセスをたどることが、作品を味わうことだと
思われます。
人生という樹について考えると、これまでの道のり
で得た果実、物質的財産や人的財産も確かに大事です。
しかし、樹のもとになる種子は何だったのか、
もう一度振り返る必要があります。
親の恩恵、社会の恩恵、歴史の恩恵、そして自然の恩恵
にまで視界が及んだとき、創ったと同時に創られたという
意識が芽生えます。
ニーチェの言葉は、生の仕組みを教えてくれます。
有無相生