老子小話 VOL 757 (2015.05.16配信)

旅行というのは本質的には、

空気を吸い込むことなんだ。

(村上春樹、「雨天炎天」)

 

トルコの空気に魅了されて、再度トルコを

車で旅した村上氏のエッセイからお届けします。

旅行しても、旅の記憶は消え絵はがきは色あせるが、

空気は残ると氏はいう。

トルコの不思議な空気は、ある種の予感のようなもの

で、その予感は具体化してはじめて説明できる。

そのいくつかの例が挙げられる。

トルコ人が「ノー・プローブレム」と言っても、

実際は問題だらけであったこと。

クルド人の制圧地域を通る道を問題なく通過できると

教えてくれたが、実際に武装したゲリラの検問を受けた。

うそを言うつもりはないが、希望的観測を「問題ない」

というトルコの空気。

はいたままの靴を洗面台に突っ込み、その靴を洗う男。

その横の洗面台で歯を磨いた氏の貴重な経験など。

予想外のことがいろいろ起こるという予感。

意外性が大きいほど異郷を感じさせ、旅の魅力は増す。

でも、もう一度同じ経験をしたいかと聞かれれば、

答えは「ノー」と氏はいう。

旅と人生を重ね合わせると、一回限りの苦しい経験なら、

振り返ってみて貴重な経験と思うこともあるが、もう一度

味わいたいかと聞かれればもう十分というのと似ている。

氏も、人生でもその予感を感じることが幾度かあるという。

予感を感じても逃げずに、予感の空気を受け入れることが

「空気を吸い込む」ことなんだと思う。

受け入れたあとに起こる意外性は旅のおまけのようなもので、

予感の機会に身を置かないと旅は始まらない。

 

有無相生

 

 

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