老子小話 VOL 755 (2015.05.02配信)

夢さめし眼をひたと闇にみひらけり

(尾崎放哉)

 

吉村昭氏の『海も暮れきる』にも描かれた

孤独の俳人尾崎放哉さんの句をお届けします。

夜夢をみているときには、眼前に映像が拡がりますが、

覚めると突然闇の世界に引き戻される。

皆様も、こんな経験を一度は味わったことがある

のではないでしょうか。

夢の世界が現実で、闇の世界が仮想と一瞬思います。

闇の中に放り込まれても、夢で出会った人や事物を

探そうと眼を見開いて、消えた跡を追います。

消えたことも現実だと頭の中では思っているせいです。

いくら探しても闇が続くとき、夢だったと気づきます。

そんな経験を放哉さんは詠んでいるのでしょう。

孤独の床では、夢が思い出の人々と遇える唯一の機会

となります。

夢で楽しい再会があればあるほど、覚めた後の寂しさは

ひとしおです。

私も、子供の頃に親戚の人と旅行したときの夢を時々見ます。

その半数は故人ですが、彼らの笑顔や言葉は覚えています。

夢の中では自分も子供で、覚めた後もしばらく子供の意識で

消えた映像を探しています。

人間の頭は記憶から夢を構築するので、老人になってみる夢は、

記憶がまだしっかりしている子供のときの夢が多いのは、

何となくうなずけます。

災害や事故で最愛の人を失ったひとがみる夢も、再会の夢が

多いのではないでしょうか。

時間は悲しみを癒しますが、夢は再会の喜びをもたらします。

放哉さんの句は、喜びの続きを闇に追う孤独者の眼をうまく

表現しているように思えます。

そして、孤独は人間共通の現実ともいえます。

 

有無相生

 

 

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