老子小話 VOL 751 (2015.04.04配信)

人の生は気の聚まれるなり。

聚まれば則ち生となり、

散ずれば則ち死となる。

(荘子、知北遊篇)

 

久方ぶりに荘子の言葉をお届けします。

生は死の始まりであり、死は生の始まりです。

生も死も円環のように尽きることなく続いていくのは、

気の運動により生命が営まれているからです。

気が凝縮すれば生命が誕生し、気が散逸すれば死が訪れる。

生きている間にも気は動いており、やる気が出る時期と

それを失う時期が交互に訪れます。

人間の集中力は持続しないようにできています。

持続すると心身疲れるので、休息により鋭気を回復します。

緊張と緩和の繰り返しが、生の持続性を保ちます。

人の一生は、攻め時と退き時の波と捉えると、

攻め時には気を集中して力をかけ、

退き時には気を抜き、来るべき時に備えます。

気の循環論は個別の生においても、

種の生においても成り立ちます。

個体を構成していた気が散じ、死が訪れても、

その気を引き継いだ別の個体が種を維持していく。

人類という種は、気の循環により生命を紡いでいく。

気は物質であり、精神(心)でもある。

死により、個体を生んだ物質は大地に帰り、

個体が産んだ精神は次世代に引き継がれる。

生も死も、切断して捉えずに、連続した気の循環で

捉えると、自分の立ち位置が見えてくる。

そんな教えが、荘子の言葉に込められています。

 

有無相生

 

 

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