老子小話 VOL 743 (2015.02.07配信)

縦欲の病は医すべくして、

しかも執理の病は医し難し。

(菜根譚)

 

欲に凝り固まった病は直せるが、

理屈に凝り固まった病はなかなか

直せない。

 

テロ集団に人質になっていた後藤健二さんが

とうとう帰らぬ人となってしまいました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

テロ集団にはイスラムという宗教名がついてますが、

その行為は宗教とは程遠いものです。

ただし彼らなりの理屈で、欲で動く資本主義とは

異なる次元で国を作ろうとしているのは事実です。

今回の言葉は、理屈の怖さを教える菜根譚の言葉です。

資本主義の究極は格差社会です。

富める者は資産を投資してますます資産を増やします。

持たざる者は、生きる糧を得るのに精一杯で、資産は

ゼロのままです。

しかし、格差を放置する政権に対し民主主義により不信任を

突きつける余地が、資本主義社会にはあります。

欲で凝り固まった富裕層に富の再配分を要求する可能性も

資本主義社会にはあります。

欲で凝り固まった病にはまだ薬があるわけです。

一方、テロ集団には、宗教という極端な理屈があります。

宗教は理屈を超えた理屈であり、これも理屈の一つです。

しかし、宗教には欲を超えて理屈でまとめる力があります。

日本でも、オーム真理教のサリン・テロが20年前にあり、

グルの理屈に何の疑問も抱かない集団が実行しました。

自爆テロもジハードで正当化される理屈で動いています。

ナチズムの反ユダヤ主義の理屈は、国家による数百万の

虐殺を行い、その卑劣さはテロ集団の比ではありません。

二都市に原爆を落とし、大量の民間人を殺戮した国の

卑劣さも同じです。

アヘン戦争で中国人を麻薬中毒にし、香港を割譲した

どこかの国も、今は正義を掲げます。

執理の病はどこの国も一度はかかり、それにかかっている

集団に対し、今は全快しているが如く正義を唱える所に

執理の病の執拗さがあります。

卑劣さは人間誰もが備えているもので、かつての卑劣さ

を忘れ、他者の卑劣に復讐することを正義とする考えが

まさに執理の病なのでしょう。

「人の振り見て我が振り直せ」がこの病への薬です。

 

有無相生

 

 

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