老子小話 VOL 739 (2015.01.10配信)

国家と宗教が正面から対立して

戦争をしなかった。

そういう時期に長い平和の状態が

訪れたのではないか

(山折哲雄、「17歳からの死生観」)

 

パリで風刺画を載せた新聞社が、

イスラム過激派に襲撃され、多くの犠牲者が出た。

フランスでは、歴史的経緯から政教分離が取られ、

宗教に対する冒とくも許されるようになった。

イスラムのタブーを風刺することは、

イスラム信者の気持ちを逆撫でしているのは、

誰の目から見てもわかる。

この記事を読んだとき、この本が思い出された。

高校生を対象に開催される、将来のリーダー養成の

サマースクールでの山折氏の講演をまとめている。

日本の歴史で、平和の時代が長く続いた時期が2つある。

平安時代の350年間と徳川幕府の250年間である。

いずれも国家と宗教が調和をとっていた時代のようだ。

日本には、そもそも住居を取り囲む自然に神が宿るという

多神信仰があり、仏教が伝来してもそれを捨てることなく、

融合と調和をとってきた。

山の神や海の神を神社に祀り、漁や狩の安全を祈願し、

田畑の神には五穀豊穣を祈願した。

ときの国家は神仏両方を認め、人心を掌握した。

神社にお参りし、クリスマスを祝い、葬式では仏教徒として

戒名までもらう。

よく言えば包容力があるといえ、悪く言えば信仰心が薄い。

一方、フランスでは歴史的にカトリック教会の権力が強く、

20世紀初頭に政教分離法が制定され、学校でのブルカ着用を

禁止している。またフランス革命で、市民の権利として、

「表現の自由」が認められ、今や宗教を冒とくする風刺も

横行するようになっている。

この自由はテロの暴力に屈することはないが、風刺の自由は、

言葉の「暴力」でもあり、信者の心を傷つける元になる。

今のフランスの状況は、政教分離と自由を標榜する国家が

宗教と対立する局面となっている。

日本に話を移せば、靖国神社も、国に命を捧げた者を精霊と

して祀ったもので、いわば人の志が神になったといえる。

政教分離と声高に言わずとも、国家が宗教(靖国)とゆるい

関係を結べているのが、平和な証拠かもしれない。

老子の思想が日本人に受け入れやすいのは、万物に宿る神々を

歴史的に信じてきた祖先の信仰が、神々を「道」として統合する

老子に共感できるためであると思われる。

「道」は唯一神ではなく、自然の気のエネルギーが万物に分散し、

万物に宿る神々を生成するような形で現れる。

日本人が多神を受け入れられるのは、外の形は違っていても、

気の出所は同じとうすうす感じているためかもしれない。

とすると、平和は、国家と宗教が調和する形でしか得られない

という考えは日本だけなく、万国に通用する考えかもしれない。

 

有無相生

 

 

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