◆老子小話 VOL
731 (2014.11.15配信)
遺伝、境遇、偶然、
- 我々の運命を司るものは畢竟この三者である。
自ら喜ぶものは喜んでもよい。
しかし他を云々するのは僭越である。
(芥川龍之介、「侏儒の言葉」)
他人の運不運をいろいろ理由付けて
分析したり批評したりすることがある。
自分の運不運を振り返り、一喜一憂するのは
そのひとの勝手だが、他人のことまで取りざた
するのは出すぎていると芥川さんは釘を刺す。
TVを見ても雑誌を見ても、自分を棚に上げ、
他人の成功や失敗の原因を評論家が分析している。
そもそも当の本人が一番深く分析しているはずである。
それを他人にとやかく言われると、不快感しか残らない。
今の世の中、ネット社会になり、噂話が瞬時に伝わり、
「僭越」という言葉が失われつつある。
「僭越」とは、分を超えて出すぎることである。
自分の遺伝子診断をして未来の病気に備えるのは
そのひとの自由である。
しかし、交際相手にまで遺伝子診断を要求し、
他人の遺伝まで自分の運命に絡めると、僭越至極になる。
運命は、偶然の連続が状況を作り出すかもしれないが、
そこには道を選択する自分の意志がある。
その意志は自分しか理解できず、他人がそれを知らずして、
運命を憶測するのが、「僭越」であるという。
知らないうちに、自分も「他者の運命を云々」することがある。
「僭越」のわなにはまりやすく、他人の「僭越」に気づいても
自分の「僭越」に気づかない。
芥川さんの言葉は、そんな自分を戒めてくれる。
有無相生