老子小話 VOL 731 (2014.11.15配信)

遺伝、境遇、偶然、

- 我々の運命を司るものは畢竟この三者である。

自ら喜ぶものは喜んでもよい。

しかし他を云々するのは僭越である。

 (芥川龍之介、「侏儒の言葉」)

 

他人の運不運をいろいろ理由付けて

分析したり批評したりすることがある。

自分の運不運を振り返り、一喜一憂するのは

そのひとの勝手だが、他人のことまで取りざた

するのは出すぎていると芥川さんは釘を刺す。

TVを見ても雑誌を見ても、自分を棚に上げ、

他人の成功や失敗の原因を評論家が分析している。

そもそも当の本人が一番深く分析しているはずである。

それを他人にとやかく言われると、不快感しか残らない。

今の世の中、ネット社会になり、噂話が瞬時に伝わり、

「僭越」という言葉が失われつつある。

「僭越」とは、分を超えて出すぎることである。

自分の遺伝子診断をして未来の病気に備えるのは

そのひとの自由である。

しかし、交際相手にまで遺伝子診断を要求し、

他人の遺伝まで自分の運命に絡めると、僭越至極になる。

運命は、偶然の連続が状況を作り出すかもしれないが、

そこには道を選択する自分の意志がある。

その意志は自分しか理解できず、他人がそれを知らずして、

運命を憶測するのが、「僭越」であるという。

知らないうちに、自分も「他者の運命を云々」することがある。

「僭越」のわなにはまりやすく、他人の「僭越」に気づいても

自分の「僭越」に気づかない。

芥川さんの言葉は、そんな自分を戒めてくれる。

 

有無相生

 

 

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